fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

六月大歌舞伎 第三部 高麗屋の『京人形』、猿之助の『日蓮』

歌舞伎座第三部を観劇。一部に比べてこちらは入りも断然良かった。二部が大入りになるのは分かるのだが、一部と三部の違いは何なのだろう。筆者は別に松竹の関係者でも何でもないので入りを心配する必要はないし、コロナ禍の状況では人がいない方が安全ではあるのだろう。しかしやはり歌舞伎は舞台と客席が一体となって作る芝居。その意味では大向うが禁じられているのは寂しいし、入りもいい方が盛り上がると思う。早く普通の日常に戻って欲しいものだ。

 

幕開きは常磐津と長唄の掛け合い舞踊劇『京人形』。昨年芝翫七之助で観た狂言だが、今回は高麗屋の祖父と孫と云う組み合わせ。高麗蔵のおとく、錦吾の大蔵、廣太郎の照平、玉太郎の井筒姫と云う配役。これが正に今でしか観られない年代記ものの素晴らしい狂言だった。

 

高麗屋が甚五郎の演じるのは二十九年ぶり。その時の人形の精は息子幸四郎(当時染五郎)。今回は孫が相手だ。いかに高麗屋が息長く健康で活躍しているかの証左でもあるし、ご当人も感慨深いものがあるだろう。長いブランクを感じさせない見事な甚五郎。花道を出て来たところから、快心の人形を彫り上げて浮かれている甚五郎の心情がしっかりと見てとれる。

 

女房を中居に見立てて酒の用意をさせて、彫り上げた人形を相手に一杯やるのだが、この人形が動き出して連れ舞いになると云う嗜好。この舞いが実に味わいがある。何と云う事もない振りなのだが、実に軽くかつ柔らかい。これが本当にあの当代一の英雄役者と同一人物かと目を疑わんばかり。高麗屋は以前、いい踊りと云うのは、観ている人が一緒に踊りたくなる踊りがいい舞踊だと発言していた。客席で観ていて、筆者も自然と身体が動き出してしまうくらいのご機嫌な踊り。周りのお客さんのご迷惑にならない様にするのが大変なくらいだった(苦笑)。

 

最後はクライマックス、右手を斬られた甚五郎が片手を吊ったまま大工道具を使っての立ち回り。八十歳近い高麗屋が大汗をかきながらの熱演。疲れもあるだろうが、その動きには些かの乱れもない。大部屋の役者さん達が「トンボを切るのでも、やり易い役者さんとそうでない人はいる」と発言していたのを読んだ記憶がある。今回の高麗屋は随所に「んっ」と云う小さな掛け声を出してトンボを切らしていた。誰でもする事だろうがそのイキと云うかタイミングが絶妙で、これなら大部屋さんもやり易かった事だろうと思った。前半の柔らか味から一変、ここら辺りは流石時代物役者の呼吸と云ったところ。

 

対する染五郎の京人形の精がまた実に見事。そのクールな美貌は正に人形に打ってつけ。昨年観た七之助もクールな容貌だが、どことなく愛嬌があった。その点で染五郎の京人形は、愛嬌の味は希薄。しかしその美貌と動きは正に人形そのものだ。お祖父さんとの連れ舞いもイキがぴったりで、舞踊の腕がメキメキ上達しているのが見て取れる。何度も高齢のお祖父さんのお手を煩わすのも何なので、今度はお父っつあん相手の再演を観てみたいものだ。

 

打ち出しは新作狂言日蓮』。猿之助の蓮長後に日蓮、隼人の成弁後に日昭、右近の善日丸、弘太郎の麒麟坊、猿弥の阿修羅天、門之助の最澄笑三郎のおどろ、笑也の梅菊と云う配役。猿之助が演出でも関わっている。気合十分の作品だが、少々空回り気味だった。

 

叡山で修行をつむ蓮長後の日蓮が、法華経こそが唯一無二の経典であると思い至り、悟りを開く迄の辛酸と葛藤を描いた作品。しかしこれが歌舞伎かと云われると、筆者的にはケレンのないスーパー歌舞伎と云う印象だ。元々宙乗りなどを入れる予定だったのをコロナの現状に鑑み、今回の大人しい演出に変更したとの事。これに宙乗りなどがあればそれこそ完全にスーパー歌舞伎だったろう。

 

筆者は何もスーパー歌舞伎がいけないと云うのではない。『オグリ』も観ているし、スーパー歌舞伎は好きなのだ。しかしこれを歌舞伎座でやる意義はあまり感じられない。音楽も洋楽であったし、それも生演奏ではない。歌舞伎座でやるのであれば、生の下座音楽などを入れて歌舞伎度を上げたもので観たいと思う。歌舞伎に必要な様式性と云うものが感じられない作品になってしまっている。歌舞伎座はやはり歌舞伎座新橋演舞場ではないのだ。

 

しかし芝居自体が面白いものであればそれも良かったのだが、三谷歌舞伎の時とは違って今回は作品自体にもあまり魅力は感じられない。筆者は法華の信者でもないので、余りに法華経による現世利益を押し付けられても、感情移入できないのだ。猿之助の理屈っぽさが全面に出ていて、猿之助僧正の教えを頭を垂れて拝聴している気分になってしまう。

 

中では笑三郎のおどろが大変な熱演であったし、子供ながらも右近が科白の多い役どころで大奮闘。猿弥もお約束のコロナネタを入れて沸す場面もあったが、それとて作品の低調さを救うには至っていない。やはりこれは本来のケレンを入れた演出で、スーパー歌舞伎として上演すべき作品であったと思う。猿之助の意欲が裏目に出た狂言になってしまった。

 

今月残るは玉孝の第二部。その感想はまた改めて。