fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

国立劇場 六月歌舞伎鑑賞教室 松緑の『文七元結』

2年振りの国立劇場歌舞伎鑑賞教室を観劇。去年は公演がなく、残念だった。事前の噂では、学生の団体がコロナの状況を考えてキャンセルしたなどと云う話しも聞き心配していたが、そこそこの入りだったのは一安心。会社勤めの人でも足を運びやすい時間帯の公演。沢山の人に観て貰いたいものだ。

 

幕開きは種之助による「歌舞伎のみかた」。舞台中央から鼠を踏まえて荒五郎の荒獅子男之助がせり上がってくる。鼠がスッポンに入って入れ替わり登場した種之助が、初心者にも判り易く、せりの構造や下座音楽の説明をしていく。芝居の前にこう云う前振りが付くのが鑑賞教室の特徴。出し物の「文七」といい、初心者には入りやすい狂言立てだろうと思う。

 

そしてお目当て『文七元結』。松緑の長兵衛、扇雀のお兼、坂東亀蔵の文七、新悟のお久、魁春のお駒、團蔵の清兵衛と云う配役。扇雀のお兼は何度も勤めている当たり役だが、松緑亀蔵は初役。いつも藤助を勤める團蔵が今回は清兵衛にまわっていてどんなものかと思っていたが、全体的に実にいい出来の芝居だった。

 

この『文七元結』は元々落語ネタ。落語では大ネタ中の大ネタとされ、大真打でないと中々やりおおせる噺ではない。筆者的には、当代でこの噺をしっかり出来る噺家は一人もいないと云うのが本当のところだ。定評があるのは全て故人だが圓生、彦六、そして志ん朝だろう。この三人の名人の中で、とりわけ独特なのは彦六だ。圓生志ん朝は文七に金を与える時に、かなり逡巡と云うか思い悩む。悩んだ末に五十両を文七に投げ与える。しかし彦六は実にあっさりと五十両を投げ出してしまう。宵越しの銭は持たないと云う江戸っ子気質が、その背景にあるのだ。

 

今回の「文七」は、行き方としては彦六のそれに近い。種之助が「歌舞伎のみかた」で説明していたが、当時の五十両を現代に換算すると五百万円にもなると云う。それをサラリと投げ出してしまう彦六のやり方は余りにあっさりしているので、噺としてはいいがそれをそのまま芝居にしたら水っぽくなるし、現代の観客には通じないだろう。筆者が今回彦六的と云うのは、その精神と云うか、心の在り方において、江戸っ子気質を基調にしている彦六のそれに近いと云う意味だ。

 

松緑の長兵衛は、終始典型的な江戸っ子職人として描かれており、娘を身売りした金を見ず知らずの文七に投げ与える、その動機付けが実に明瞭である。五十両の金を盗まれたと思い込み、どうしても身投げをすると言い張る文七を前にして、「えれぇところに通り掛かっちまったなぁ」とぼやきながらも、「人の命は金じゃ買えねぇや」と懐から五十両を出す。松緑はここをサラリと江戸前にしかも違和感なく演じており、初役とは思えない見事な芝居。変に粘ったりしないので科白廻しのテンポが実に良く、いかにも宵越しの銭は持たないさっばりとした江戸っ子気質がはっきりと表現されている。

 

そしてこの芝居に厚みをもたせているのが、その前段の「吉原角海老内証の場」における娘お久とのやり取りだ。夫婦別れをしなければならないところ迄追い詰められた父と母を助ける為、お久は角海老に自らの身売りを決心する。それを知った長兵衛は娘を前に「こんな者でも親だと思えばこそ、そう云ってくれる。俺はお前のこと子とは思わねぇよ、オイこの通りだ」と手を合わせる。それを受けてお久が「お父つぁんもったいない。そんなことしたら、私に罰が当たるよ」と泣く。ここの親娘の芝居が情味に溢れ実に素晴らしい。この芝居があったればこそ、結果文七に金を投げ出す事になる長兵衛の行動に、千金の重みを与える事になっているのだ。

 

結局金は掛け取り先に忘れただけで紛失してはおらず、お久は身請けされて文七と夫婦になり、めでたしめでたしとなる。しんみりさせておいて最後は明るく〆る、人情噺の王道とも云うべき狂言松緑も云っているが、悪人が一人も出てこない気持ちのいい芝居。女房役の扇雀も、松緑とのやり取りで絶妙なイキを見せてくれており、娘を思う余り亭主を怒鳴りつける、こちらも実に江戸っ子女房らしいいいお兼。新悟のお久は十八年ぶりとの事だが、長身を上手く殺して、いじらしいくらい親思いの娘役を好演。亀蔵の文七も主人への一途な思い溢れるいい文七。ただ清兵衛役の團蔵が科白の通りが今一つで、元気がない印象。身体が悪い訳ではないといいのだが。

 

松緑の長兵衛は、本家音羽屋と比べると所作や科白廻しが全体的に現代調で、世話の味は薄い。しかしその精神において、見事に祖父先々代松緑から当代菊五郎に受け継がれて来た音羽屋型の長兵衛を引き継いでいる。初役でここまで出来れば上々だろう。これから練り上げていけば、いずれ音羽屋の様な見事な世話狂言に仕上げてくれるだろうと思う。遠くない将来、歌舞伎座での再演を期待したい。

 

今月はこの後歌舞伎座の二部・三部。その感想は観劇後、また別項にて。