fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

四月大歌舞伎 第三部 松嶋屋・大和屋による『桜姫東文章 上の巻』

歌舞伎座第三部を観劇。コロナ以降、三部になってからの公演では筆者の知る限りにおいて一番の入りだったのではないだろうか。勿論入場規制がかかってはいるが、であればこそ猶更と云った感じで、場内の熱気が凄かった。その感想を綴りたい。

 

大南北作『桜姫東文章 上の巻』。六月に下の巻を上演するらしい。今回は「稚児ケ淵」から「三囲」迄の上演。大和屋の桜姫、松嶋屋の清玄/権助二役、鴈治郎の悪五郎、錦之助の七郎、福之助の軍助、吉弥の長浦、歌六の残月と云う配役。この狂言での玉孝の共演は三十六年ぶりだと云う。正に歴史的な公演だ。しかも六月と分けての上演とは松竹さんも商売が上手い(笑)。まぁ冗談はさておき、松嶋屋・大和屋の体力的な事を考えての上演の様だ。

 

何せ三十六年ぶりなので、筆者は前回の共演は観ていない。しかしこの演目は、特に大和屋にとっては自分の運命を変える事になった大きな役だった。有名な話しだが、昭和四十二年国立劇場で上演されたこの狂言で、桜姫は先代京屋だったが、白菊丸に当時十七歳だった大和屋が起用されたのだ。この公演を観た三島由紀夫が大和屋に惚れ込み、後に自ら脚本を書いた「椿説弓張月」の白縫姫に抜擢。大和屋ブレイクのきっかけとなった。晩年の三島は至るところで大和屋を絶賛し、「三島最愛の女優」の座を歌右衛門から奪った形になった。それもあってか、その後かなりの長きに渡って歌右衛門は大和屋を冷遇する事になるのだが。

 

しかし松嶋屋と大和屋の共演はいつも特別なものだが、それが『桜姫東文章』となればまた格別である。筆者ごときがこれにとやかく云えるものではない。とにかく必見の舞台であったとしか云い様がないのだ。大南北の原作はいかにもグロテスクで、高貴なお姫様がゴロツキに強姦されて子供迄産んだあげく、その男の事が忘れられず身を持ち崩していく。商家の出だった南北は、余程高貴な身分の人間に怨みでもあったのだろうか、とにかく桜姫を徹底的にいたぶる内容である。対して権助は悪人ではあるが、色気と鯔背な雰囲気のある実にいい男なのだ。それを松嶋屋が演じている。これはもう鉄板であろう。

 

二人の発する濃厚な味わいに圧倒され続けた二時間だったので、あまり細かく書き記すとどこまで長くなるか分からない。以下簡単に印象的な部分を記す。三島が強い印象を受けたと云う発端の白菊丸花道の出は、やはり鮮烈。花道で転んで清玄を見上げた時の白菊丸の美しさ、儚さ、もうこの世の者とは思われない。「桜谷草庵の場」の濡れ場における二人の艶っぽさ。桜姫がお姫様から女に変わって行くところの妖艶な色気は、当代の女形では大和屋以外には出せないだろう。そしてその相手が色悪を演じさせたら当代一の松嶋屋ときては、最早云うべき言葉もない。

 

「稲瀬川の場」のカットは残念だったが、ここでもお姫様を縛めて苛め抜くと云う南北の嗜好を受けて、大和屋演じる桜姫の被虐美が凄絶。そして最後の「三囲の場」。桜姫がかつて自分が愛した白菊丸の生まれ変わりと知った清玄が、姫の片袖に赤子をくるんでさ迷い歩く。雨を拾った傘でよけ、そぼ降る雨の中それと判らぬ桜姫から、袱紗に入った薬を貰う。ふっとこの袱紗は自分が桜姫に与えたものだと気づく。その時起こした火が消えて辺りは暗闇になる。この辺りの世話の呼吸が流石松嶋屋、抜群に上手い。そしてすれ違って行く二人の切なさが舞台一杯にさざ波の様に広がって、幕となる。実に余韻の残るいい終幕。正にTo Be Continuedと云ったところで、これは六月も観ざるを得ませんな(苦笑)。

 

兎に角古希を過ぎた二人とは思えない若々しさと艶っぽさに、圧倒され続けた「東文章」。脇では鴈治郎の悪五郎が、ニンにない役乍ら手強い出来で、印象的だった。今月残るは高麗屋の弁慶。これも多分凄い公演になる事だろう。