歌舞伎座第四部を観劇。その感想を綴る。
『義経千本桜』「川連法眼館の場」、通称四の切。歌舞伎座では四年前の猿之助以来の上演だ。獅童の忠信実は源九郎狐、染五郎の義経、莟玉の静御前、團子の駿河次郎、圀矢の亀井六郎と云う配役。これが実に鮮烈な舞台であった。
獅童が歌舞伎座で古典の主演をするのは、何と今回が初めてと云う。幸四郎や菊之助と云った名家の御曹司は、二十代から歌舞伎座で古典の主役を張っていたが、名門萬屋の血を受け継ぐとは云え、父親が役者を廃業してしまっていたと云うハンデがいかに大きかったかを物語る。忸怩たる思いはあったろうと推察するが、その分気合十分の迫力ある舞台となった。
もう慣れっこになってしまった場のカット。今回は冒頭の川連法眼の場面がなく、腰元が六人並んで状況説明。忠信参上が告げられ、染五郎扮する義経の出になる。いや~大きくなった。少年の成長は早いものだ。優に170センチは超えているだろうと思われる。そしてこれがまた実に気品溢れる立ち姿で、惚れ惚れさせられる。所作にも澱みがなく、科白廻しも以前より大分上達した事が感じられる。勿論まだ高校一年生、注文を付ければきりがない。しかしこのまま真っすぐ精進して行って欲しいものだ。
そしていよいよ獅童の忠信登場。花道の出から、生締めの鬘に長袴と云ういで立ちに古風な役者顔が映える実に颯爽とした姿。舞台に廻って義経と対面。気合が入っているせいか、義経に対する態度が多少不遜にも感じられる位だったが、形、科白共実に堂に入っている。偽忠信の来着を知らされ、刀の下げ緒を解き縛り縄にして花道を見込んだ形も、偽忠信を隙あらば捕縛しようとの気合横溢してキッパリしたいい形。
義経がこの詮議は静に任せると云って引っ込み、鼓の音に誘われて狐忠信の出になる。今回の獅童忠信の特筆すべき点は、とにかく骨太の芝居であったと云うところだ。昨今の狐忠信は、狐である事を意識する余り、ともすると女形の様になよなよしている事がある。その点獅童は実に男性的で、狐らしい野性味のある力強い忠信。その科白廻しは実にエモーショナルで、鼓になってしまった親狐を恋しく思うその切ない子狐の心情が、客席にもひしひしと伝わってくる。生前の勘三郎に「君のいいところはハートがあるところ」と云われたと筋書きで獅童自身が述べていたが、正にその通りで熱いハートが歌舞伎座の大舞台に溢れんばかり。
細かく云えば、ケレンも猿之助の様にスムーズではないし、狐言葉も粗さがあり万全ではない。その意味で最高の四の切だったと云うつもりはない。しかしこの骨太な忠信は、実に鮮烈で新鮮。これは磨けば当たり役になると確信した。幾つか目にした劇評では賛否両論の様だったが、筆者は今回の獅童忠信を断然指示する。
時節柄荒法師との立ち回りはカットされ狐独りでの立ち回りだったので、この場の面白味は半減してしまったが、ぜひ次回はカットなしの完全上演で観てみたい。そう思わせる気迫満点の素晴らしい狐忠信だった。もう一つ筆者の印象に残ったところ付け加えると、初音の鼓を静を経由せず義経自ら狐に手渡していた事だ。肉親の愛に恵まれない義経が、親を思う子狐の心に打たれている思いがしみじみ伝わるいい場だった。
莟玉の静御前も目のさめる様な美しさで、染五郎の義経と揃ったところは若手花形らしい美に溢れており、観客が一斉にオペラグラスを構えたのもむべなるかなと思わせる。團子の駿河次郎も成長著しいところを見せ、圀矢の亀井六郎も手強い出来で脇をしっかり締めていた。
今月は残り歌舞伎座の一部・二部と、国立の二部。感想はまた別項にて綴る事にする。