十四年ぶりと云う播磨屋の景清。歌六が頼朝と花菱屋長の二役、東蔵のおくま、雀右衛門の糸滝、錦之助の重忠、又五郎の左治太夫 、米吉の玉衣姫、歌昇の四郎国時 と云うベテランと若手を組み合わせた座組。素晴らしい舞台を期待したのだが、初日故の粗さが目立ち、残念な出来となってしまった。
失望のあまりあまり細かく書く気がしないのだが、幹部役者の大半がまだ科白が入っていない 。歌六の科白は恐る恐るだし、東蔵に至っては三幕目「手越宿花菱屋の場」で科白につまり、先に進まなくなってしまう有様。観ているこちらがはらはらさせられた。
何より主役の播磨屋が、科白を思い出し思い出ししながら云っているかの様。科白の継ぎ目にやたら「ん~」と云う言葉が入ってしまい、これでは役に気持ちが入っていくはずもない。立ち回りも力感がなく、段取り確認をしている様に感じられた。いくら初日とは云え、これでは・・・今までも初日に観劇した事は度々あるが、ここまでのものはなかったかと思う。
幹部役者の中では、雀右衛門と又五郎が孤軍奮闘していたが、それとても焼け石に水の感。明治以来となる二幕目「南都東大寺大仏供養の場」の上演もあり、幕切れも景清と糸滝が一緒に船に乗りパッピーエンドと改訂するなど、意欲的な公演だったのだが、それがかえって仇になったか・・・非常に残念だった。
一方若手は当然の事ながら科白が怪しいと云う事もなく、幹部役者の胸を借りようとばかり元気一杯。特に序幕「鎌倉大倉御所の場」での米吉の玉衣姫は、討ち死にした許婚の平知章の手紙を見たいと義兄の頼朝に嘆願するところ、哀しみと死の覚悟が合わさってここでは場内からすすり泣きも聞こえた。歌昇の四郎国時も手強出来で、最近のこの優の充実ぶりを示してくれていた。
そして今回の舞台で筆者が最も感動したのは、四幕目「日向嶋浜辺の場」を語った葵太夫の竹本。本当に当代、これほどの義太夫語りは文楽界にも数はいない。人間国宝にも指定され、正にまことの花を存分に聴かせてくれる天下一品の竹本だった。しかし歌舞伎を観に行って、竹本が一番良かったと云うのも・・・
出来ればこの後もう一度観劇して感想を綴りたかったのだが、今月はその暇がなさそうなので、致し方ない。久方ぶりの狂言での初日観劇は控えようと思わされた今月の国立だった。