fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

七月大歌舞伎昼の部 海老蔵・勸玄親子の『外郎売』

七月大歌舞伎昼の部を観劇。その感想を綴る。

 

海老蔵が15日から休演し、大騒ぎになった七月大歌舞伎今月の歌舞伎座。筆者はその直前に観る事が出来た。日頃の行いが出るものです(笑)。

 

幕開きは『高時』。右團次の高時、児太郎の衣笠、九團次の三郎、梅花の渚、寿猿の秋田入道、市蔵の大佛陸奥守と云う配役。新歌舞伎十八番とは云え、内容はない狂言。その分役者の力量が必要とされるが、今一つ冴えない。

 

右團次の高時は科白回しは流石と思わせる部分もあるが、執権としての大きさが出てこない。闘犬や酒色にうつつをぬかしているが、その原因は偉大な父祖に対する引け目にあり、その辺りの屈折した心情も充分に表出されているとは云い難い。大部屋連中の天狗の良さだけが目立つ結果になってしまった。「北条家門前の場」における九團次の三郎は好演。寿猿の秋田入道は流石の年功だった。

 

続いて『西郷と豚姫』。獅童のお玉、錦之助の西郷、権十郎の大久保、歌昇の半次郎と云う配役。これも何だか水っぽい。獅童のお玉に、報われないと知りつつ西郷を愛し、もう会う事は叶わないと思いながらその旅立ちを見送る哀しみが出てこない。池田大伍の原作はこの程度のものではないはずだ。錦之助の西郷も好演ではあるが、ニンではない。『高時』に続いて寂しい内容だった。

 

狂言目はこれまた新歌舞伎十八番『素襖落』。昨年松緑團蔵他で観たが、今回は本家成田屋海老蔵の太郎冠者、友右衛門の次郎冠者、獅童の大名、児太郎の姫御寮と云う配役。これは面白かった。昨年の松緑は、踊りの技量は素晴らしかったが、どこか固く、この狂言の持つ剽げた面白味が出ていなかった。しかし今回はその意味で軽く、さらっと剽軽さが出ている。

 

海老蔵の舞踊は腰高で、肩の線もしっかり決まっておらず、メカニック的には数段松緑が上である。しかし技術だけではないのが歌舞伎劇。この狂言の持つ何とも云えない可笑しさは、海老蔵の方がしっかり出せているのだ。同じ事は去年の團蔵と比べた時に、今回の獅童にも云える。前幕お玉の失点を挽回した印象。そして今回素晴らしかったのは、友右衛門の次郎冠者。巧まずして自然と表出されるその可笑し味、しかしながら気品は失わない。改めてこの優の持つ実力を再認識させられた。踊りの技量も確かで、この狂言成功の立役者と云えるだろう。

 

最後に皆さんお目当て歌舞伎十八番外郎売』。十八番が三っつも並ぶ。成田屋の芸に対する海老蔵の思いには並々ならぬ物がある様だ。海老蔵の五郎、勸玄君の貴甘坊、獅童の朝比奈、児太郎の舞鶴梅玉の祐経、魁春の虎、雀右衛門の少将と云う配役。毎月の様に上演される曽我物だ。

 

襲名でもないのに、梅玉魁春雀右衛門と幹部役者が揃い、劇中口上もある。流石市川宗家成田屋、格が違う。そしてお目当て勸玄君扮する貴甘坊の「外郎」の云いたてが、実に見事だった。筆者も寿限無くらいは何とか云えるが、テンポがどうしても速く前のめりになる。まぁ私は素人だから当たり前だが、勸玄君はその点実にしっかりしている。早口なのだが、決して急がず、そしてちゃんと抑揚もつけている。流石成田屋のDNAと舌を巻く思いだった。教え手がいいのだろうが、六歳にしてこの云い回しはお見事の一言。満場やんやの喝采だった。

 

梅玉の工藤は流石の貫禄。この優の風情は何とも云えずいいものだ。魁春雀右衛門がしっかり脇を固め、九團次の梶原が目立つ程のいい出来。大一座を従えてのお父さん海老蔵が見事な役者ぶりを見せる。華やかで、いい打ち出し狂言になった。

 

筆者が観劇した翌日に海老蔵休演が発表され、驚かされた。無事復帰した様なので一安心だが、若いとは云え海老蔵不惑を過ぎている。体調には十分留意して貰いたい。夜の部はまた別項にて綴る。