fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

二月大歌舞伎 昼の部 松緑の権太、音羽屋・時蔵の『暗闇の丑松』

続いて昼の部の感想を綴る。

 

幕開きは『義経千本桜・すし屋』。松緑初役の権太、團蔵の弥左衛門、橘太郎のおくら、芝翫の梶原、菊之助の弥助実は維盛、梅枝のお里と云う配役。先代松緑の追善を当代松緑が行う。かつて先代勘三郎は、倅の十八代目に「歌舞伎座で追善が出来る役者になっておくれ」と云っていたそう。その意味では当代松緑は期待に違わぬ役者になったと云う事だろう。文字通り熱演だった。

 

しかし全体的に義太夫味に不足している「すし屋」。松緑は科白に独特の癖があり、新歌舞伎などでは気にならないが、義太夫狂言ではその感興を著しく阻害する要因になっている。出てきて木戸口を開け、中を覗いてお里と弥助がじゃれついているのを見て急いで木戸を閉める。その形、佇まい、いい権太なのだが、科白になると義太夫狂言ではなくなってしまう。

 

母おとくに甘えるところも愛嬌があって悪くないのだが、やはり科白が厳しい。今のままでは根本的に義太夫狂言に向かない優になってしまっている。義太夫味がないのは、脇の團蔵・梅枝も同様。團蔵はハマる役なら無類の優だが、去年の「菊畑」同様、義太夫狂言ではその味が出ない。菊之助義太夫味はないが、形と声が実に良く、いい白塗り二枚目になっている。ニンが合えば、義太夫味がなくても何とかなると云う見本だ。

 

中では橘太郎のおとくが流石の出来で、義太夫味があり、実にいい丸本の女房になっている。「器用な子じゃのう」も倅に甘い母親ぶりを微笑ましく見せる。芝翫も癖はあるが、大きさと位取りをしっかり出した立派な梶原。

 

大詰めの手負いになってのモドリの述懐は、更に厳しい。ここは間違いなくこの狂言で一番の難所だろうと思うが、科白の癖がやはり気になる。しかも時々手負いである事が抜けてしまう様なイキを感じさせる。長科白をもたせる技術は初役ではやはり難しいのだろう。非常に力の入った熱演ではあり、事実同行した友人は涙ぐんでいた。人によってはいい権太と云う評価もあるかもしれないが、筆者には迫ってくるものがなかった。

 

続いて『暗闇の丑松』。音羽屋の丑松、時蔵のお米、左團次の四郎兵衛、東蔵のお今と云う配役。筆者の大好きな長谷川伸なので、今月はこれを一番楽しみにしていたのだが、何故か水っぽい。菊五郎劇団の手練れが揃っているのに何故だろう?音羽屋の丑松はしっかりしており、情の深いいい丑松なのだが、時蔵のお米があっさりとしているせいか、泣けないのだ。

 

前回音羽屋が演じた時の福助のお米は情味があり、運命に流される薄幸の女を実によく表現していて、思いっきり泣かせて貰ったのだが・・・。時蔵が役者として福助におさおさ劣るとは思えないのだが、芸風に合わないと云う事だろうか。加えて左團次の四郎兵衛も冴えない出来。休演明けでまだ体調がすぐれないのかもれない。中では橘太郎の湯屋番甚太郎が流石の持ち役で孤軍奮闘、客席を沸かせていた。

 

打ち出しは舞踊『団子売』。芝翫と孝太郎のイキもぴったり合い、実に軽妙ないい『団子売』。20分もない短い舞踊なのだが、結果的に昼の部ではこれが一番楽しめたと云うのも哀しい。五月の團菊祭では、ぜひ汚名挽回、劇団ここにありを見せて欲しいものだ。

 

夜の部の残り『名月八幡祭』の感想は、また別項にて綴る事にしたい。