昼の部を観劇。その感想と云うか、『雷神不動北山櫻』を観て改めて市川海老蔵と云う歌舞伎役者について考えた事を、少し長くなりそうなので、回を分けて綴ってみたい。
鳴神上人、粂寺弾正、早雲王子、安倍清行、不動明王と云う五役を兼ねる海老蔵の大奮闘狂言。まず『伊達の十役』を思わせる口上から始まる。狂言の筋を判り易く説明。歌舞伎観劇に慣れない客を意識した、いかにも海老蔵らしいオープニング。この優の視線は、常に若い客を意識している。
発端から天皇位を狙う早雲王子が悪の大きさを出していてまず見事。続く「大内の場」での安倍清行は、花道を出てきたところ絵から抜き出た様な美貌。荒事の力感とこの二枚目のたおやかさが両方出せるところが海老蔵の素晴らしさ。菊之助ではここまで悪が効かないだろう。
続く所謂「毛抜」では力感もありながら愛嬌もある粂寺弾正で、完全に手の内に入った役。裁き役としての爽快さもしっかり出していて、まず当代の粂寺弾正だろう。クライマックスの「鳴神」もまず何より美しく、色気もある見事な鳴神上人。菊之助の雲の絶間姫が裾を持ち上げる場面で、目をむいて立ちあがるところなどもツボを外さず客席を沸かせていた。
大詰の立ち回りもこの優が悪かろうはずもなく、これぞ荒事の手本とも云うべきもの。最後は不動明王の海老蔵が宙に舞い上がっての見得で幕。市川宗家の歌舞伎十八番をたっぷり堪能させて貰った。
脇ではやはり菊之助の雲の絶間姫がこの世のものとは思えない程の美しさで、海老蔵とのイキもきっちり合って、抜群の出来。團蔵の玄蕃はしっかり悪が効いていたし、黒雲坊・白雲坊の市蔵と齊入も愛嬌たっぷりで、手堅く脇を固めていた。
この手揃いの脇の中で、特筆すべきは雀右衛門の腰元巻絹。大家の腰元としての品があり、粂寺弾正の口説きをあしらいながら「ビビビ~イ」と言捨てての引っ込みも色気と可愛らしさが同居していて、この優らしい巻絹。雲の絶間姫を菊之助に譲っても、しっかり存在感を出していた。
筋云々ではない荒事の歌舞伎十八番なので、理屈抜きで楽しめた。やはり海老蔵の舞台には華もオーラもあり。客を沸かせるツボを心得ている。この狂言を観ていて、杮落公演の後、海老蔵がインタビューで「歌舞伎十八番を歌舞伎座で上演する事にこだわっていきたい」と云う趣旨の事を云っていたのを思い出した。
父團十郎も、「歌舞伎十八番」に強いこだわりを持っていたのはつとに知られている。海老蔵もその意思を継いで行く覚悟なのだろう。そう考えた時、海老蔵と云う役者は、今どう云う存在で、何を考えどこに向かおうとしているのか。その指向性と芸について改めて考えた事があるので、次項でそれを思いつくまま綴ってみたい。