今月は新幸四郎による『一條大蔵譚』があるので、予習を兼ねて以前録画していて、まだ視聴していなかった松嶋屋による大蔵卿を観た感想を綴りたい。
平成27年の芸術祭十月大歌舞伎で、配役も時蔵の常盤御前と孝太郎のお京は被っていた。私は生の舞台は観ていないのだが、録画でもその素晴らしさは充分伝わった。
当代、大蔵卿をさせたらまず播磨屋と云うのが大方の見方だろうと思うが、どうしてどうして、松嶋屋の大蔵卿は播磨屋に優に対抗でき、決して何かに次ぐなどと云う類いのものではなかった。
檜垣での出から、愛嬌がありながら貴族としての気品を失わないその風姿に魅了される。播磨屋の大蔵卿は、つくり阿呆のその愚かさぶりが強調されており、奥殿での威厳にあふれた姿とのギャップを大きく打ち出して、舞台に立体的な色合いを濃く見せている。
その意味では、松嶋屋のつくり阿呆ぶりは大人しく、播磨屋ほどの劇的な要素は少ないと云える。話しは変るが、落語の登場人物中に与太郎がと云う人間がいる。与太郎はつくりではなく本当の阿呆なのだが、噺家によってその阿呆具合が少しく異なる。
例えば故人になるが談志の与太郎はこまっしゃくれたところがあり、数ある与太郎の中では比較的知能指数が高そうに見える。一方でこれも故人になるが志ん朝の与太郎は本当のカラ馬鹿ぶりで、その阿呆さ加減が他の市井の人々とのギャップで笑いを誘う。
正しい比喩ではないかもしれないが、播磨屋の大蔵卿は志ん朝的で、松嶋屋のそれは談志的と云う肌感覚が筆者にはある。
当然派手で見栄えがし、客受けもするのは前者で、後者は些か地味な印象になり易い。しかしこれは芸の行き方の違いで、優劣では決してない。
松嶋屋は、貴族としての品位を強く意識しながら、つくり阿呆を演じていると思われる。
その一方で檜垣で菊之助の鬼次郎と目が合い、扇子で顔を半ば隠して見せる大蔵卿の表情は鋭く、その本性を僅かに垣間見せて印象深い。
奥殿の場でその本性を顕してからの大蔵卿は、播磨屋の線の太い豪宕さに比べ、源氏の血筋とは云え、やはり貴族としての品位を保った美しい姿。大蔵卿の衣装も播磨屋系統とは違うが、表層的な事ではなく、源氏の血筋をより意識した播磨屋と、あくまで貴族であると云う意識の松嶋屋と云う違いは鮮明である。
踊りの上手さでは、これは明らかに松嶋屋は播磨屋を凌駕しており、長刀と扇子を持った物語りの舞の見事さは天下一品。最後の見得の力感溢れる迫力は播磨屋に軍配が上がると思うが、すっきりした松嶋屋もこれはこれで見事。
義太夫味もたっぷりで、堪能させて貰えた大蔵卿だった。
孝太郎のお京も、この世代の優としては義太夫味もあり、檜垣での踊りも見事で、いいお京。時蔵の常盤御前は、本来世話物の人なので芸質には合わない。する事に間違いはないが、これは播磨屋の時の魁春の方がニンに合っていた。今月どんな常盤御前になるか、これはこれで楽しみにしたい。菊之助の鬼次郎は少し肩に力が入っていた印象。本来柔らか味のある優なので、無理に武張った感じを出そうとしていたのだろう。むしろこの人は大蔵卿の方がニンに合うと思う。播磨屋の時も菊之助が鬼次郎だったが、これほど力みかえった印象はなかった様に思ったが。
総じて見事な大蔵卿で、今月の新幸四郎を観る前に勝手にハードルを上げてしまったなと・・・。大丈夫か、高麗屋(笑)しかしまぁ今月の大蔵卿も楽しみにしております。