fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

市川海老蔵 「古典への誘い」 神奈川県民ホール(写真)

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海老蔵の「古典への誘い」を観劇して来ました。ポスターです。

 

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定式幕。舞台左の黒いテントみたいなのが鳥屋。その前が花道。厳しい・・・

 

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新之助米の宣伝ポスター。新之助を名乗っていたのはもう何十年前か。

 

海老蔵公演を観に神奈川県民ホールへ。花道のない会場で、しかも出し物は「稲瀬川」。かなり無理がありしたが、楽しめました。感想はまた別項で綴ります。

 

博多座 二月花形歌舞伎 夜の部 幸四郎の『御浜御殿綱豊卿』、花形勢揃いの『元禄花見踊』

続けて博多座夜の部を観劇。こちらも入りは昼とあまり変わらず、大入り満員と云う訳ではなかった。しかし舞台は実に素晴らしいものだった。その感想を綴る。

 

狂言立ては昼と逆で、幕開きにメインの『御浜御殿綱豊卿』。幸四郎の綱豊卿、歌昇の助右衛門、米吉のお喜世、笑也の浦尾、壱太郎の江島、猿弥の勘解由と云う配役。当代綱豊卿と云えば、何と云っても松嶋屋である。次期将軍としての大きさ、そして天下一品の謡うがごとき名調子、正に国宝級の名品である。幸四郎は父と並んで松嶋屋を尊敬しているのだろう。「伊勢音頭」の貢同様、こちらも松嶋屋直伝である。

 

松嶋屋は綱豊卿について「内匠頭を愛している。それにつきる」と云っていたと云う。そう、その肚があるからこそ、この狂言が成り立つのだ。幸四郎はその勘所をしっかり掴んでいる。そして松浦候同様、大名としての大きさがあり、加えて艶っぽさもある。今回の花形公演は義士伝の外伝が二作並んだ形だが、この風格と云うか風情と云うか、大名としての大きさを出すべく、集中的に取り組んだ狂言立てなのではないかと思う。

 

第一幕「松の茶屋」での巡礼の無心を受け流しての「孫子の代まで、大名稼業など、させるものではおりないわ」の駘蕩とした大きさと艶。これが出せると云うのが、今の幸四郎の充実ぶりを雄弁に物語る。科白廻しには松嶋屋の口跡が所々残ってはいるが、しかし決して物まねでは終わっていない。綱豊卿の役がしっかり肚に入っているなればこそだろう。

 

第二幕三場「御殿元の御座の間」での助右衛門との応酬も、実に力のこもった二人芝居。歌昇も手一杯の力演で幸四郎に迫る。仇討など知らぬとあくまでシラを切り通す助右衛門にいら立った綱豊卿が「俺を見よ、俺の眼を見よ。天晴れ我が国の義士として、そち達を信じたいのだ」と自らの心境を明かして厳しく問い詰める。その科白を受けての助右衛門「貴方様には六代の征夷大将軍の職をお望み故、それ故わざと世を欺いて、好きな遊びの真似をなさるのでございますか」と暴言を吐く。堪えきれずにお喜世が「お手討ちを待つ迄もございませぬ」と斬りかかろうとするのを抑えての「助右衛門よ、その後が聞きたい。云え、云え」の詰め寄りは、息をするのも忘れる程。勿論真山青果の原作の素晴らしさがあるのだか、この場の迫力は松嶋屋相手に幸四郎が助右衛門に回った時の舞台に劣らない素晴らしさだった。

 

ただ全体としては松嶋屋の神品とも云うべき域には、まだ径庭がある。例えば第二幕第一場「綱豊卿御座の間」での勘解由とのやり取りの場。ここは動きもなく、謳い上げる様な科白もない静かな芝居が続く難しい場面。浅野家再興と仇討をさせたい心の狭間で葛藤する綱豊卿をしっかり見せなければならないが、猿弥の勘解由がニンでなく淡彩だったせいもあって、今一つ心に迫るものがない。この場はまだ磨き上げる余地があるだろう。

 

大詰第二幕第四場「綱豊卿御殿能舞台の背面」の場での望月の装束を纏った綱豊卿を吉良少将と間違えて、槍を繰り出してきた助右衛門を抑えての長科白はクライマックス。ここでの幸四郎は、満場を酔わせる松嶋屋の名調子とも違うリズムで、ここで謳い上げる事をしなかった扇雀とも異なり、独特の調子で謳い上げる。そう、ただの科白ではなく、しっかり謳ってはいるのだ。だが今までの真山劇と何かが変わっている。しかしその事で真山劇特有の良さが損なわれてはいない。むしろいかにも真山劇らしく聴こえる。幸四郎はインタビューで真山劇を音楽的と表現していた。その解釈から導き出された独特の調子を伴う科白廻しだったのだろう。今後、松嶋屋とはまた一味違った綱豊卿を創出してくれるかもしれない。ふとそんな事を思わせる、実に聴きごたえがある素晴らしい科白廻しだった。

 

総じて見事な綱豊卿で、上記の通り歌昇の力演もあり、見ごたえ充分の実に結構な芝居だった。松嶋屋の後の綱豊卿は、幸四郎のものだろう。脇では猿弥は腕達者な優だが、昼の部の源吾と違い勘解由はニンでなく、いかに腕力自慢の猿弥でも、これは手に余った。米吉は綱豊卿と助右衛門に挟まれての難しい役どころを好演。壱太郎も祐筆としての格と、後に「江島・生島事件」を起こす艶っぽさも漂わせた見事な江島で脇を締めていた。

 

打ち出しは出演者うち揃っての『元禄花見踊』。花形がそれぞれ着飾っての総踊りは実に盛観。通常の「花見踊」と違って、元禄の男四人の内二人が奴。これに猿弥と廣太郎が扮していたのだが、この二人の踊りがイキもピッタリで素晴らしいものだった。そして最も変わっていたのが、幸四郎の出。がんどう返しがあって舞台面がひっくり返ると同時に、舞台中央から元禄の男幸四郎がせり上がって来る演出。座頭としての風格と、花形役者としての色気を兼ね備えた惚れ惚れする様な役者ぶり。肩から指先にかけての形と動きが実に美しく、改めて今の幸四郎は日本一の踊り手だと思わされた。

 

見事な真山劇と、華やかな舞踊で、目も心も大いに満たされた博多座夜の部だった。四月は歌舞伎座に加えて、菊之助が「馬盥」を演じる国立劇場もある。無事芝居の幕を開ける為にも、コロナが一日も早く収束に向かう事を祈るばかりだ。

博多座 二月花形歌舞伎 昼の部 歌昇・米吉の『正札附根元草摺』、幸四郎の『松浦の太鼓』

緊急事態宣言下ではあるが、博多座公演を観劇。福岡にも緊急事態宣言が発出されているので、かなりの店が閉まっていた。そんな状態なので、人数制限をしている客席も満員ではなかった。しかしこの芝居を観なかった(観れなかった)博多の芝居好きは、かなり損をしたと思う。それ程素晴らしい舞台だった。

 

幕開きは『正札附根元草摺』。歌昇の五郎、米吉の舞鶴と云う配役。長唄の曽我物舞踊だ。舞台中央から五郎と舞鶴がせり上がってくる。時分の花真っ盛りの二人。目の覚める様な美しさだ。歌昇の五郎が逆澤瀉の鎧を片手に決まったところは、小柄な優が大きく見える。歌昇の年齢でこの大きさを出せたのは大手柄。

 

米吉の舞鶴はひたすら可憐で美しい。冒頭の力比べは男勝りなところを見せる場面だが、ここは少し力感には欠ける。しかし所作の美しさにあまり文句を云う気も失せて、見入ってしまう。一転してのくどきは、成熟した艶っぽさではないが、若々しい清楚な慎みのある色気で魅せる。楽日近くに観劇したので、連舞のイキもピッタリ。若手花形らしい気持ちの良い舞踊だった。

 

そしてお待ちかね『松浦の太鼓』。幸四郎の松浦候、猿弥の源吾、壱太郎のお縫、宗之助の左司馬、廣太郎の文太夫、橘三郎の其角と云う配役。秀山十種の内で、云わずと知れた当代播磨屋の当たり役。当然の事乍ら、幸四郎は叔父さんからの直伝だ。数年前に歌舞伎座で観ているが、格段の進歩で見事な松浦候だった。

 

以前観た幸四郎の松浦候は、愛嬌がある所は叔父さん譲りだったが、それが勝ちすぎていた。言葉は悪いが松浦候がバカ殿に見えた。勿論愛嬌がなければならない役どころで、やはり以前観た歌六の松浦候は、芝居は抜群に上手かったが、愛嬌に欠けていた。ここら辺りの匙加減は難しいところと思われるが、そこは流石に播磨屋は素晴らしく、愛嬌と大名としての大きさを折衷させた、見事な松浦候を見せてくれていた。しかし今回の幸四郎は、その播磨屋に迫る出来だ。

 

まず今回の松浦候が良い出来なのは、その大きさだ。肥前平戸六万石の大名としての大きさが、その佇まいに自然と備わっている。これは幸四郎が座頭役者としての貫禄を備え始めた証であろう。其角とのやり取りで、「さだめて悋気も出るでしょうな」に「たまには謀反も出るじゃでな」と返すところの泰然とした大きさ。更に其角が「気に入らぬ風もあろうに柳かな」に「徳あればこそ人も敬もう」と時代に張り、一転「まず其角がやりおったわい」とくだけるところ、硬軟自在の素晴らしさ。ここは橘三郎とのイキも合い、見事な芝居だ。

 

そしてクライマックス、陣太鼓の数を数えての「三丁陸六ッ、一鼓六足、天地人の乱拍子」からの科白廻しでは見事な名調子を聴かせてくれる。「宝船はここじゃここじゃ」と無邪気に喜び愛嬌こぼれる姿には、こちらまで浮き浮きさせられる。ここら辺りの芝居の上手さも、襲名以降幸四郎が腕を上げた何よりの証左だ。

 

大詰めの「松浦邸玄関先の場」では、本懐遂げて駆けつけた猿弥の源吾が素晴らしい出来。見事怨敵吉良少将を討ち取ったと告げる長科白が実に聴かせる。ここでは筆者も思わず涙ぐんでしまったが、場内からもすすり泣きが聞こえた。橘三郎の其角もニンに合い、いかにも蕉門十哲に数えられる俳人らしい佇まいを見せる。壱太郎のお縫も兄の仇討を喜び乍ら、もはやこの世で会う事はかなわないと思う心情を垣間見せ、これまた結構な出来。内蔵助以下の働きに感動した松浦候の「誉めてやれ、誉めてやれ」で大団円となる幕切れ迄、各役手揃いの素晴らしい『松浦の太鼓』となった。

 

続けて夜の部も観劇したが、その感想はまた別項にて。

博多座 二月花形歌舞伎(写真)

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博多座に行きました。ポスターです。

 

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幸四郎扮する松浦候ポスター。

 

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同じく綱豊卿。

 

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博多座名物出演者の宣伝動画。猿弥バージョンです。

 

こんなご時世ですが、博多座に行って来ました。福岡も緊急事態宣言下であるせいか、大入り満員にはなっていませんでしたが、花形全力投球の素晴らしい公演でした。感想はまた別途綴ります。

 

二月大歌舞伎 第二部 松嶋屋・大和屋の『於染久松色読販』、『神田祭』

残る歌舞伎座二部を観劇。久々の玉孝共演とあって、入場制限下ではあるが、大入り満員の盛況。やはり見物が多いと役者も燃えるのではないか。どちらの狂言も素晴らしい出来だった。その感想を綴る。

 

幕開きは『於染久松色読販』。大和屋のお六、松嶋屋の喜平、権十郎の清兵衛、福之助の亀吉、彦三郎の太郎七、吉之丞の久作、音羽屋の愛孫寺嶋眞秀君が長太で出た。二人で何度も演じている印象があった狂言だが、松嶋屋仁左衛門を襲名した以降では今回で二度目だと云う。しかし実に結構な出来であった。

 

所謂「お染久松」物の大南北バージョン。筋としては大した事はない。喧嘩をタネに怪我が元でお六の弟が死んだと偽って、油屋から百両を強請り取ろうとする喜平夫婦。だが死んだはずの遺体が息を吹き返した上に、死んだと偽っていた久作が油屋にやって来てしまい悪事露見。駕籠を担いで退散すると云うもの。筋より役者で魅せる歌舞伎らしい狂言だ。

 

筋書きで大和屋がお六について、「悪いことはするけれど、それは私利私欲ではないと云う事が根幹になければならない」と云っていた。前進座河原崎國太郎に教わったと云う。旧主の為に百両が必要になり、「どうぞしてこの百両の金、手に入れる方はないものかねぇ」の科白にその辺りの心情が滲む。油屋での強請りも最初は低姿勢で入って行くが、一転弟を殺されたと言い寄る「ぶち打擲をしなすったんだねぇ」の凄みの効いた科白廻しは、自家薬籠中の役だけあって、お見事の一言。喜平に甘える仕草も艶っぽく、メリハリの効いた素晴らしいお六。

 

松嶋屋の喜平は、花道の出から如何にも南北物の悪党らしい風情を出している。この出の風情はやはり長年培ったものがないと出せない味。こちらは女房と違い芯から金欲しさなのだが、凄んでいても所詮は小悪党。何とも云えない愛嬌があり、それが南北物にある陰惨な印象の狂言に出て来る人物とは一味違うところ。『絵本合法衢』の太平次なども得意にする松嶋屋だが、人物像をしっかり演じ分けている。強請りの場での煙管を持って斜に構えた形の良さ、花道での剃刀を咥えて決まるところを始めとした数々の見得の見事さ、どこを取っても当代一の喜平。如何にも南北物を観たと云う手応えのある素晴らしい狂言だった。

 

打ち出しにご馳走とも云うべき『神田祭』。松嶋屋の鳶頭に、大和屋の芸者。二十分ばかりの短い清元舞踊だが、二人の熱々ぶりに満場当てられっぱなしと云った感。まぁとにかくその艶っぽい事艶っぽい事。延寿太夫の清元も云わずと知れた天下一品。大入りの見物衆も酔えるが如く醒むるが如しの体で、二人共古希を過ぎているとはとても思えない若々しさ。とくに筆者が観た日は出来が良かったのか、大和屋がうっすら微笑み乍ら嬉しそうに踊っていたのが印象的だった。こう云った狂言を観ると、大向うが禁じられているのが残念でならない。筆者も心の中で「ご両人!」と叫んでいた。芝居がハネた後、「ご両人と云いたかったわね」と話している女性のお客がいた。本当にいつになったら大向うが解禁されるのやら・・・やはり歌舞伎には大向うが欠かせないと、改めて思わされた。

 

かつてあるフランスの文学者が、「老いと云うのは悪癖である。意欲を持っている人間は、七十でも若い」と云っていたが、正にこの二人がそうだと思う。いつまでも二人の素晴らしい芝居を見せて欲しいものだ。久々の玉孝の共演、大満足の歌舞伎座第二部だった。

国立小劇場 二月文楽公演(写真)

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国立小劇場の文楽公演第三部『冥途の飛脚』を観て来ました。ポスターです。

 

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ポスター二枚目です。

 

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目出度い。住大夫に続く文楽界二人目の文化勲章迄辿り着いて欲しいです。

 

『冥途の飛脚』、実に結構でした。特に勘弥の梅川は一代の名演とも云うべき名品。頭の僅かな動き、角度で梅川の哀しい心情を的確に表現して、絶品としか云い様のないものでした。入場制限はされていましたが、大入りでしたね。

 

二月大歌舞伎 第三部 中村屋兄弟の『奥州安達原』、勘九郎・勘太郎の『連獅子』

引き続いて歌舞伎座三部を観劇。その感想を綴りたい。

 

第三部は十七世勘三郎三十三回忌追善公演と銘打っている。十七世は十八世勘三郎に、「歌舞伎座で追善興行が打てる役者になっておくれ」と云っていたそうだが、その孫が追善興行を打てる役者に成長した。泉下の十七世・十八世もさぞ喜んでいる事だろう。

 

幕開きは「袖萩祭文」。七之助の袖萩、勘九郎の貞任、長三郎のお君、歌六の直方、東蔵の浜夕、芝翫の宗任、梅玉の義家と云う配役。記録によると十七世は、袖萩と貞任を早替りで勤めている。今回は孫の七之助勘九郎で分け合った形。まぁ普通はこうなるのがノーマルだろう。兼ねる役者で、勤めた役の多さではギネスにさえ登録されている十七世。改めて凄い役者だったなぁと思う。

 

さてその「袖萩祭文」だが、芝居としてはしっかり観れる。しかし義太夫狂言らしい手応えに欠けている。中村屋兄弟共手一杯の芝居で悪くはない。しかし七之助の袖萩には哀れさ、悲しみが足りない。勘九郎には義太夫狂言の立役としての大きさ、古怪さが不足している。七之助は初役、勘九郎は二度目なので、致し方ないのかもしれない。この狂言は人気があるのかここ数年でも播磨屋芝翫の貞任、雀右衛門の袖萩で観ており、比較するのは酷かもしれないが、先輩達にはまだ及ばずの感。七之助はもう少し声を抑えて飢えと雪に震えている感じを出して欲しい。勘九郎は大落としのところなど、もっとたっぷり突っ込んで義太夫狂言らしい芝居を見せて欲しかった。今回はリアルで少しあっさりしていた様に思う。

 

しかしその分脇は手堅い。芝翫の宗任は義太夫狂言らしい太々しさがあり、貞任とどちらが兄貴だか判らない位(苦笑)。歌六の直方と東蔵の浜夕は当代最高だろう。きっぱりとした中に親の深い情愛も見せてくれる素晴らしい出来。そして梅玉の義家は流石に大きく、これぞ源家の御大将。これだけの手練れで脇を固めているのだから、千秋楽に向けて、主役に一層の奮起を期待したい。長三郎のお君は好演。この子は声が良く通る。将来が楽しみだ。

 

打ち出しは『連獅子』。勘九郎の親獅子、勘太郎の子獅子、鶴松の蓮念、萬太郎の遍念と云う配役。勘太郎が史上最年少九歳で子獅子を勤める。十歳で勤めた自らの記録を破られた勘九郎が悔しがっていたが、期待に違わぬ立派な子獅子だった。

 

『連獅子』は十七世以来中村屋お家芸とも云える狂言勘九郎が亡き勘三郎に徹底的に仕込まれた様に、勘太郎にもきっちり教えた事が良く判る。非常に折目正しい子獅子。大体において子役と踊る時は、どうしても大人の役者が子供に合わせてしまうものだ。しかし今回はそれがない。連れ舞いは相手を見ながら踊ると間がずれる。だがこの親子はお互いがきっちり踊って決まるところはしっかり決まる。勘九郎は当然としても、僅か九歳でこれが出来る勘太郎には瞠目させられた。これはしっかりお金が取れる舞踊だ。数年前の初舞台を観劇している身としては、早くもここまで来たのかと、感慨一入。これからも折に触れ、この親子の成長過程を辿る様な『連獅子』を観てみたいと思わされた。

 

数年後には十八世の十三回忌もある。その時には義太夫狂言に於いても素晴らしい追善公演を期待したい。残る第二部玉孝の共演舞台の感想は、また別項にて。