fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

十月大歌舞伎 第二部 高麗屋・勘九郎の『双蝶々曲輪日記』

歌舞伎座の残りの部を観劇。その感想を綴る。

 

まず第二部「相撲場」。高麗屋の濡髪、勘九郎が与五郎・長吉の二役、高麗蔵の吾妻、錦吾の金平と云う配役。これがまた素晴らしい舞台だった。

 

まず何と云っても高麗屋の濡髪が圧巻である。木戸口から出て来たところ、その大きさ、歌舞伎の様式美に溢れた美しさと力感漲る立姿、これぞ濡髪、日下開山の貫禄である。衣装を重ね着して、高下駄を履いているが、そう云った物理的な事ではなく、身体全体から発散する大きさ。これが練り上げた芸であり、座頭役者の力である。ここだけで素晴らしい濡髪と知れる。

 

与五郎に対する優し味と、その悠揚迫らざる所作は、濡髪の人間的な大きさを示して余りある。「演劇界」のインタビューで高麗屋が「優しい人だったんでしょうね」と語っていたが、この場はその通りの優しさを感じさせると同時に、大きな包容力がある。役が肚に入っていないと、この大きさは出せない。ここらあたりは花形役者達にも学び取って行って欲しいところだ。

 

対する勘九郎の長吉は、郷左衛門・有右衛門と共に出て来たところ、意外にも風情がなく、あれあれと思っていたのだが、与五郎で再登場すると雰囲気が変わる。所謂上方とつっころばしの役だが、ニンにも合いいい与五郎。料亭に独りで行く事も出来ない位の頼りない若旦那の雰囲気を上手く出している。色気では四年程前に観た菊之助の方があるが、ニンは勘九郎だ。

 

そして更に良かったのは、再度戻って来た長吉。相手が歌舞伎界の横綱高麗屋だったと云う事もあって、思いっきりぶつかって行けたのが吉と出た。要するに変に作り込む必要がなく、役者としての貫禄の違いがそのまま役の貫禄の差になる。これが花形同士だとこうはいかない。しかし相手が高麗屋なら遠慮なくぶつかれる。その結果が今回の素晴らしい「相撲場」になったのだと思う。濡髪に八百長を匂わされ「ありゃ振ったんじゃな」と喰ってかかるイキ、青々といきり立った若々しさが舞台に漲るいい長吉。

 

それを受けて、最初は吾妻の身請けの件を思って堪えていた濡髪が「あんまり軽口を叩きすぎるぞよ」と徐々に怒りをため始め、「男が手を下げ頼むじゃないか」となり「それをオレが知った事かい」と長吉に畳みかけられて、「ここな不埒者め!」と遂に怒りを爆発させる。この濡髪の心情、心の移り変わりのグラデーション具合の見事なこと。芸歴七十年の力量、芸の素晴らしさだ。そしてここの怒声はどんな役者でも大音声を出すと判っていながら、高麗屋の怒りの大きさに、筆者は思わず身震いした。歌舞伎座の大舞台も揺るがすかと思うばかりの大芝居。本当に凄い濡髪だった。

 

その他脇では、コロナ対策の短縮バージョンの為に与五郎との絡みがなく、短い出になってしまった高麗蔵の吾妻が目に残る出来。「長吉勝った」と見物が囃し立てる場や、金平と与五郎が濡髪の服を二人で着るチャリ場がカットされるなど、時節柄致し方ないとは云え残念な事ではあった。しかしそれを補って余りある素晴らしい高麗屋の濡髪であった。

 

第二部だけで長くなったので、第三部松嶋屋の「石切梶原」はまた別項にて改めて綴る事にする。