fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

秀山祭九月大歌舞伎昼の部 幸四郎の『極付幡随長兵衛』

秀山祭九月大歌舞伎昼の部のその他の演目について綴る。

 

昼の部幕開きは『極付幡随長兵衛』。幸四郎が初役で長兵衛に挑んだ。松緑の水野、亀蔵の登之助、錦之助の唐犬、雀右衛門のお時、歌昇の出尻、種之助の公平と云う配役。ベテランと花形を組み合わせたいい座組だ。

 

幸四郎の長兵衛は熊谷もそうだったが、無理に大きく見せようとはしない等身大の長兵衛。史実では長兵衛の没年は38歳とも36歳とも云われているので、その年齢に見合った人物造形になっている。丸本の熊谷の場合はやや線の細さが目についたが、明治期に作られたこの芝居では、その点過不足のない仕上がりだ。

 

弁天小僧では黙阿弥調が謡いきれていなかった幸四郎だったが、「幡随長兵衛と云う、ケチな野郎でごぜぇやす」や「人は一代、名は末代」の科白回しが無駄な力みのない黙阿弥調になっており、実に気持ちが良い。

 

第二幕「長兵衛内の場」でも、侠客の意気地と家族の情の間に挟まる心情を、人間臭く造形している。倅長松を戸口から家に送り込んでの「達者で、いろよ」の涙混じりの科白もいい。お父っつあんや叔父さんの長兵衛は、スーパーマンの様な大きさと描線の太さがあるが、今はこの長兵衛でいいのだと思う。貫禄は今後についてくるだろう。

 

大詰め「湯殿の場」では、若く身体が動く分、柔の手を使った立ち回りが実に見事。立ち回りの中で自ら一回転して見せるのは、逆におと父っつあんや叔父さんには出来ない芸。若々しいいい長兵衛だった。回を重ねれば、当代の長兵衛になるだろう。

 

脇では松緑の水野、亀蔵の登之助もクールでいい。松緑は科白回しの独特の癖もあまり目立たず、大身の槍を構えた形も、踊りの上手い優だけに実にきっぱりとしている。雀右衛門のお時は以前より鉄火な味が出ており、夫を思う情愛の深さも充分。新しく誂えた着物の帯を長兵衛に渡すその手つきに、哀しみと情が滲む素晴らしいお時。加えて配役を見た時はどうかと思った種之助の公平も手強い出来で、意外と云っては失礼だが、収穫だった。

 

この長兵衛と「沼津」に挟まる『お祭り』。大作2狂言の間で箸休め的ニュアンスだが、これもいい。梅玉の鳶頭、魁春と梅枝二人のみの芸者と云うコンパクトな座組。その分それぞれの見せ場があり、15分程度の短い舞踊だが華やかで実に良かった。梅玉はすっきりとしいて、鯔背な江戸の華らしい鳶頭。大向こうの「待ってました!」に「待っていたとはありがてぇ」のお約束も楽しい。魁春の芸者は風情で見せ、梅枝は若さを生かした美しさと技巧で見せる。来月のお嬢吉三も今から楽しみだ。

 

毎年大作をたっぷり見せてくれる秀山祭。今年は花形の奮闘もあり、例年以上に充実していた。播磨屋の休演が気がかりだったが、無事に復帰して楽日迄勤め上げた様子で、安心した。どうか健康には留意して、来年以降も素晴らしい舞台を期待したい。