fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

七月大歌舞伎夜の部 海老蔵十三役早替りの『星合世十三團』

七月大歌舞伎夜の部を観劇。ここまでやるかと云う海老蔵大奮闘。その感想を綴る。

 

丸本の名作『義経千本桜』を「大内」から「奥庭」迄通して演じる狂言。正味4時間以上にも及ぶ超大作。海老蔵は一人で左大臣朝方・卿の君・川越太郎・弁慶・知盛・丹蔵・小金吾・権太・弥左衛門・維盛・忠信・源九郎狐・教経を早替りで勤める。最初から最後迄出ずっぱり。そりゃ身体も壊すわ・・・。梅玉義経左團次の景時、雀右衛門静御前魁春典侍の局他の配役。思いが空回りしている部分もあったが、その熱意と努力は凄い。

 

筋を追うとそれだけで一杯になってしまうので、以下印象的なところを述べる。まず十三役の中で一番の出来だったのは、権太だ。これは今年松緑でも観ているが、断然海老蔵の方がいい。まずニンに合っているのが一番。冒頭の弥助・お里の件りはカット。いきなり海老蔵の権太が出て来る。弥助も海老蔵が兼ねているし、時間内に収める為にはこれは致し方なかろう。

 

齊入のお米を騙して金を引き出すところはふざけ過ぎて良くない。がっかりしていたのだが、その後がいい。本当は花道に行って弥左衛門が戻って来たのを見て舞台に戻るが、今回は弥左衛門(海老蔵ではない)が門口迄来たので、慌てて引っ込む。ここの海老蔵はその目つきといい、形といい、いかにもごろつきの性根を出していて、実に見事。

 

その後左團次の梶原が出て、弥左衛門達を取り囲んだとろこで、権太二度目の出。自分の妻子を身代わりに立てた内侍と六代の君を連れて、花道から出て来る。舞台に廻ってから左團次の梶原を向こうに回してのやり取り。ここも堂に入ったもので、「面上げろぃ」のイキ、褒美の金をせびる時のいかにも強欲な性根を見せるところなど、素晴らしい権太。

 

梶原が引っ込んだ後、弥左衛門に刺されるところは、何せ刺す方刺される方を海老蔵が兼ねているのだから、忙しい。障子屋体や屏風を使って、海老蔵が弥左衛門になったり権太になったり。実に目まぐるしい展開で、観ていて面白くはあるのだが、丸本の本分からはどうしても乖離してしまう。ここは感動的なところなので、もう少しじっくり観たかったが、次に海老蔵が権太を正式にやる時のお楽しみとしておこう。

 

そして権太モドリの述懐になる。ここの弥左衛門は顔を見せずに当然他の役者が代わっているので、父親としての芝居が十分に出来ず、その悲劇がしっかり出てこない憾みは残る。しかし海老蔵の述懐は、意外と云っては失礼だが聞かせてくれる。丸本的な義太夫味は薄いが、「ありゃぁわっちの女房に倅だぁ」のところなどは、実に真に迫まって見事なもの。これは練り上げていけば、当代の権太が出来上がるのではなかろうか。

 

この前段の「木の実」と「小金吾討死」もいい。ことに「木の実」の権太は、海老蔵の特徴たる目が生きて、小悪党な感じが上手く出ている。「小金吾討死」の縄を使った立ち回りはこの優の独壇場。素晴らしい迫力だった。

 

その他の場面では問題はかなりある。「福原平家御殿跡の場」などは知盛・維盛・教経を三役早替りで勤めているが、頑張り程の効果は上がっていないし、「堀川御所の場」の卿の君は流石に無理。「渡海屋」と「大物浦」は、先日松嶋屋の本物を観たばかりなので、どうしても食い足りない。最後の「川連法眼館」の狐忠信も、狐詞が出来ていないので、親子の情愛を出すところまでは行っていない。何せ十三役である。どうしても役の性根が薄くなるのは致し方ないだろう。

 

脇では梅玉魁春雀右衛門がそれぞれ見事な位取りを見せ、これぞ今日の大歌舞伎。この三人が出ている事によって、せわしない作りの狂言がぐっと締まる。観たばかりの「渡海屋」と「大物浦」だが、梅玉魁春の芝居は実に見ごたえがあったし、取り分け「四の切」での雀右衛門の静は、その気品、その情愛の深さ、当代一の静と云っていいだろう。この三人が揃った「千本桜」が観てみたいものだ。

 

とにかく海老蔵の大奮闘劇。来年襲名する十三代目團十郎にかけて十三役だったのだろうが、数を合わせた結果、色々無理は出ていた。しかし、今のうちしかこう云う無理は出来ないと思っているのだろう。その結果休演を余儀なくされた日もあった様だが、何とか千秋楽迄完走する事を祈るばかりだ。スペクタクル要素の強い中で、上記の様に権太は見事だった。今度は海老蔵でじっくり「鮨屋」を観てみたいと思っている。

 

来月は納涼歌舞伎。幸四郎の仁木が今からとても楽しみだ。