fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

三月大歌舞伎 昼の部 白鸚の「吃又」

歌舞伎座昼の部を観劇。その感想を綴る。

 

何と云っても白鸚の「吃又」である。30年ぶりだと云う。今回は「近江国高嶋館の場」からの上演。この場、筆者は初めて観た。囚われの身になった幸四郎の狩野元信が、自らの血で虎を描くとそれが抜け出て猿弥の道犬を噛み殺し、縛めを解いて危機を逃れると云う筋立て。金閣寺と似た話しだ。

 

幸四郎の白塗り二枚目は鉄板。佇まいの美しさ、その色気、申し分ない。米吉の銀杏の前も可憐で、道化役の腰元藤袴と対照をなして、いいチャリ場となって舞台を盛り上げている。そして何と云っても虎が大活躍。誰が入っているのかは判らないが、完全にこの場の主役だった。

 

続く「館外竹藪の場」は鴈治郎雅楽之助が大活躍。幕開き狂言の『女鳴神』で豪快な押し戻しを演じた疲れも見せず、大立ち回り。還暦近い鴈治郎だが、まだまだ若いところを見せてくれた。筋立てとしては二幕とも大した事はないが、抜け出た虎が次の「土佐将監閑居の場」への伏線となっている。現代に通じる歌舞伎を常に意識している白鸚らしい配慮だと思う。

 

そしてお目当て「土佐将監閑居の場」所謂「吃又」だ。何と云っても素晴らしいのは、前半の吃りの又平である。又平は自分の吃音をもどかしく思い、女房に代弁して貰わないと師匠との意思疎通もはかれない。その無念な思いが実に良く表出されている。「し、し、死にたい」と漏らすそのイキ。技巧的にも難しい役だと思うが、その難しさを感じさせない。しかもその吃音の芝居が大げさにならず、しっかり抑制が効いている。技巧を超えた最上級の技巧だろう。

 

前半の抑制が効いているので、手水鉢に描いた絵が反対側に滲み出たのを見た時の「かか、抜けた!」の歓喜がより大きくなる。この科白がこの芝居の眼目だと思うが、今まで観た誰よりも、又平の驚きと喜びがしっかりと伝わって来る。去年演じた「魚屋宗五郎」もそうだったが、白鸚の芝居は前段と後段のめりはりがしっかりとしており、芝居が実に立体的だ。

 

そして師の将監に土佐の苗字が許された時の無邪気に喜ぶ芝居も、しっかりと糸に乗り、義太夫狂言の枠をはみ出さない。これぞ名人の芸だろう。白鸚は隠居名だが、いやいやどうして、より高みを目指すその役者魂には、胸を打たれる。

 

猿之助のおとくは、その才気走ったところが多少鼻につくが、芸格で白鸚と釣り合いが取れているところは大手柄。近年度々白鸚の相手役に起用されているせいか、イキも合い、いい女房ぶり。彌十郎の土佐将監も威厳があり、役者が揃った素晴らしい「吃又」になった。

 

話しが前後したが、幕開き狂言は『女鳴神』。孝太郎の鳴神尼、鴈治郎が雲野絶間之助と佐久間玄蕃の二役。筆者は初めて観る狂言。『鳴神』のパロディの様な筋立てだが、ただ色香に迷ってしまうのではなく、かつての恋人に瓜二つの絶間之助に騙されてしまうと云う所がミソ。かつての恋人と信じた男が、実は自分を欺く為にやって来た別人と知った時の怒りが良く出ていて、初役の孝太郎、上出来だったと思う。鴈治郎も艶やかな絶間之助から豪快な押し戻しを見せる佐久間玄蕃を見事に演じ分け、非常に楽しめた。

 

「吃又」の前に幸四郎が一人で踊る舞踊『傀儡師』。これも筆者は初めて観た。20分程度の短い中に、女、男、義経、知盛などを踊り分ける変化舞踊。以前にも書いたが、幸四郎の舞踊は踊りの意味が実に良く判る。その特質がこの踊りでも良く出ていて、踊り分けるそれぞれの性格をしっかり表現していて、実に見事な舞踊。三津五郎家のお家芸なので、将来巳之助もレパートリーに入れると思われるが、いい手本になったのではないだろうか。

 

以上、荒事あり、舞踊あり、義太夫狂言ありの多彩な狂言立てで、非常に楽しめた歌舞伎座昼の部だった。