fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

六月博多座大歌舞伎 夜の部 仁左衛門の『俊寛』

夜の部の感想を綴る。

 

通し狂言だった昼の部から一転、松嶋屋の『俊寛』・鸚の『魚屋宗五郎』・幸四郎の『春興鏡獅子』と豪華演目がずらりと並んだ贅沢な夜の部となった。

 

まず『俊寛』。これが播磨屋とも高麗屋とも違う独特の俊寛で、素晴らしい。仁左衛門は当代では鸚と並ぶ丸本物の名人。その濃厚な義太夫味は、この『俊寛』でも光彩を放っている。

 

舞台下手奥からの出からして、科白を語らずにそのよろける姿から今の俊寛の置かれた境遇を雄弁に物語る。ここをリアルな動きにしないのが丸本の肝心なところで、一気に近松の世界に引きずり込まれる。少将と判官を迎えて少将が嫁を取ると聞き、千鳥を呼び寄せて祝言を寿ぎ、「肴つかまつろう」と云って立ち上がっての舞、そしてまたよろけるところでの俊寛の笑いがせつなく胸をうつ。

 

赦免船が来たと知って浜辺に駆け寄るところは、他の誰がやっても四人が手を繋いで横走りに舞台下手に下がるのだが、松嶋屋のそれは手は繋がず、めいめいに下手奥に入る。筆者は元々四人手を繋いでの横走りに違和感を感じていたし、見た目にも滑稽な感じがしていたので、今回の松嶋屋の行き方を断然指示したい。

 

清盛からの使者瀬尾の赦免文に自分の名がなく、「入道殿の物忘れか」の詰め寄りから、丹左衛門が登場して自らも赦されると聞き、地獄から天国となる一連の流れも義太夫味に溢れ、正に本役の俊寛。

 

千鳥の乗船はまかりならぬとなり、一旦引っ込んで千鳥の「鬼界ケ島に鬼はなく」の嘆きから、妻東屋が殺されたと聞いた俊寛が、瀬尾に斬りつける浄瑠璃に乗せての所作ダテも、義太夫味の濃いこの優らしいものだったが、圧巻なのはやはり最後の「思い切っても凡夫心」。

 

ここは誰がやってもドラマチックで(と云ってもこの狂言の上演が許されるのは、それ相応の技量のある役者に限られるが)、ここで観客を「泣かせ」る事が出来なければ一流の歌舞伎役者とは云えまい。しかし中でも今回の松嶋屋は圧巻。「お~い!」と赦免船に叫び続けながら、耳を押さえて俯く。船の方でも呼びかけ続けているのだ。その声が聞こえなくなって行く。ここがせつない、たまらなくせつない。

 

花道にかかっての満ち潮に追い返される場面では、水際で踏みとどまる従来の行き方ではなく、すっぽんを使って海に半身入る絶妙の演出。岩によじ登って舞台が回り、正面を向いて赦免船が消えていった水平線を見つめながら幕になるのは従来通りだが、ここで最後に松嶋屋の俊寛は微かに、ほんの微かに微笑むのだ。何の笑みだろう?諦念故か?清盛入道に一矢報いたとの思いか?

 

これだけでも一論文書けそうなくらいの見所満載、万感胸に迫る『俊寛』だった。本来引き立て役のはずの他家の襲名で、これ程の狂言を出してしまう松嶋屋。人がいいのか悪いのか(苦笑)。脇では孝太郎の千鳥が、従来の娘娘した人物造詣から一歩踏み込んで、古い云い回しだが所謂「おきゃん」な千鳥。俊寛を助けての瀬尾との立ち回りでは、自分一人で瀬尾を倒してしまいそうな位の勢いがある。筆者はかつて観た事がない斬新な千鳥で、仁左衛門の指示ではないかと思う。

 

玉の丹左衛門は当然本役。彌十郎の瀬尾、鴈治郎の少将、弥の判官と手堅く固めて、素晴らしい『俊寛』だった。長くなったので、後の演目はまた別項で。