fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

團菊祭五月大歌舞伎 昼の部 『雷神不動北山櫻』と市川海老蔵と云う役者 その3

この項では、海老蔵成田屋当主としての視点について綴ってみたい。

 

白鸚がかつて、「歌舞伎の職人になるのが真の歌舞伎役者だ」と云う趣旨の発言をしていた。その影響か、幸四郎も襲名の口上で「歌舞伎職人を目指します」と云っていた。事実白鸚の芸は既に職人の域を超えて、正に名人としか云い様のない領域に達しているし、幸四郎も目指すところは父の芸に追いつき、追い越す事だろう。

 

しかし海老蔵と云う役者は、歌舞伎の職人になろうとは更々思っていない様に思われる。海老蔵の目指す先は、一門ひいては歌舞伎界の再編なのではないかと見えるふしがあるのだ。

 

坂東竹三郎門下を破門されていた薪車に九團次を名乗らせ一門に加え、亀治郎猿之助襲名で、澤瀉屋においてやや微妙な立場になっていた右近に、右團次の襲名を斡旋し高嶋屋を名乗らせるなど、着々と一門の再編に取り組んでいる。

 

インタビューでも「うちにある小團次や子團次などの名跡もいずれ復活させる」と云う趣旨の発言をしていた。加えて弟子筋にあたる澤瀉屋型の「狐忠信」を猿翁に習い演じている事などは、澤瀉屋との良好な関係を思わせる。

 

海老蔵の祖父十一代目團十郎は若くして亡くなった為実現こそしなかったが、團十郎劇団を立ち上げる構想を持っていたと聞く。正に海老蔵は祖父の果たせなかった夢の実現に向けて、着実に歩みを進めているのではないか。

 

これは私の想像だが、成田屋に加え澤瀉屋・高嶋屋を率いて、一家一門で興行をうてる体制を構築しようとしているのではないかと思う。こう云う視点は他の花形にはない。先にあげた白鸚幸四郎の発言でも判る通り、高麗屋父子が目指しているのは、自らの芸の深化であるのだから。

 

この点でも、江戸歌舞伎への回帰を目指す海老蔵の芸の志向性と重なり、「若くして座頭たりえるのは團十郎のみ」と云われた近代以前の歌舞伎体制を、この21世紀において確立させようとしていると筆者は見ている。

 

この体制が実現した暁にはどんな歌舞伎界が待っているのか筆者には判らない。判らないが、今の私は、海老蔵が他の役者とは違う視点で考え、その遠大な構想の元に再編された歌舞伎界を見てみたいと、記しておく。

 

新歌舞伎座は、必然的に私たちの世代が支えていかなければならない」かつて海老蔵は杮落公演の際にこう発言していた。私には、「21世紀前半の歌舞伎界は、俺の時代だ」と云う宣言に、聞こえてならない。十三代目團十郎歌舞伎座の座頭となる時代は、ぜひその芸の深まりと共にあって欲しいと、筆者は切に願っている。