fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

二月大歌舞伎 夜の部 我當の『八陣守護城』、大和屋と勘九郎の『羽衣』、音羽屋の『人情噺文七元結』、秀太郎・梅玉の『道行故郷の初雪』

歌舞伎座夜の部を観劇。その感想を綴る。

 

幕開きは『八陣守護城』。筆者は初めて観る狂言。まずは我當歌舞伎座復帰を祝いたい。襲名の口上を除けば、我當歌舞伎座に出るのはいつ以来だろう。去年の七月、我當が大阪松竹に出ると聞き、たまらず駆けつけたが、まさか歌舞伎座で観られるとは。父十三世の追善興行なので、無理を押してもと云うところだろう。松竹座での「日招ぎの清盛」同様、役者の風情で見せる狂言。やはり右半身は動かない様だが、その姿が観れるだけで嬉しい。最後我當の正清が船上で決まったところは、流石に役者ぶりが大きい。福助同様、無理のない範囲でその舞台姿を見せて欲しいものだ。

 

続いて『羽衣』。大和屋の天女、勘九郎の伯竜と云うコンビ。この二人は以前『二人椀久』を踊った事があり、その時も実にいいコンビと思ったが、今回もやはりいい。大和屋の天女は流石に天下一品。去年の『二人静』などもそうだったが、こう云う人間でない役を演じる時の大和屋は、本当にこの世の者とは思われない幻想味と云うか幽玄美を漂わせて、絶品。対する勘九郎もこの大和屋に位負けしていないところは天晴れ。若いながら、踊りの上手い優。七之助とばかりでなく、大和屋始め他の女形との舞踊ももっと見せて欲しいものだ。

 

お次は『人情噺文七元結』。音羽屋の長兵衛、糟糠の妻時蔵がお駒に回って、お兼が雀右衛門左團次の清兵衛、梅枝の文七、亀蔵甚八團蔵の藤助、莟玉のお久、梅玉の伊兵衛、音羽屋の愛孫眞秀君のお豆と云う配役。劇団に梅玉雀右衛門が加わった座組。その代わりに楽善三兄弟と彦三郎兄弟が出ていない。しかしその練り上げたアンサンブルはお見事の一言。

 

音羽屋の世話物当たり狂言は数多いが、この「文七元結」は歌舞伎座さよなら公演でも演じた十八番中の十八番。今回も非の打ちどころがない。役者でも芸術家でも、一度自分のスタイルを作り上げると、一生をその進化に捧げるタイプと、次々新しいものに挑みスタイルを変化させて行くタイプがあると思う。画家で云うとピカソ、音楽家だとマイルス・デイヴィスが後者に当たるだろう。役者で云うと当代白鸚は後者に属し、音羽屋は典型的な前者タイプ。これは優劣の問題でなく、その人の生き方によるもの。そして近年、その練り上げた世話物芸を披歴し続ける音羽屋は本当に素晴らしい。

 

基本する事に変わりはない。しかし一段と彫が深くなっている印象。ことに身投げしようとする文七に、娘お久が身売りして工面した五十両を投げ与える場面。金を握りしめて天に向かって「お久すまねぇ」の気持ちを表すところなどは、長兵衛の思いが震える両手にこもり、真に迫って実に素晴らしい。二幕目「元の長兵衛内の場」で、家主甚八が和泉屋清兵衛に文七とお久の婚礼の取りまとめの話しをしている間、鳶頭伊兵衛との「この度は世話をかけたね」と聞こえない位の小声でやり取りをしているそのさり気ない芝居にも世話の味が漂い、何とも云えず粋な空気感が広がる。

 

脇では初役の雀右衛門のお兼の、いかにも職人の古女房と云った風情と、何より娘を思う親心に溢れ、コミカルな味も交えながら実に結構な出来。15年ぶりと云う時蔵のお駒も、長兵衛に意見するその貫禄と、大店の女将らしい仇な雰囲気が素晴らしい。左團次團蔵梅玉と芸達者が揃って、実に見事な「文七元結」だった。

 

打ち出しは『道行故郷の初雪』。こちらも十三世仁左衛門の追善狂言秀太郎の梅川、梅玉の忠兵衛、松緑の万才と云う配役。「新口村」を清元の舞踊仕立てにした狂言。こちらも筆者は初めて観た。これも実にいい。

 

近年「盛綱」の微妙や、「加賀鳶」のお兼と云った年かさの役回りが多かった秀太郎だが、今回は梅川。こう云う若い役は、4年前国立での顔世御前以来ではないか。八十近い秀太郎だがどうしてどうして、実に若々しく、艶もある梅川。菰を取って顔を出したところ、その美しさに目を瞠った。相手役は永遠の二枚目役者・梅玉。二人揃ったところは錦絵の美しさ。そして実に瑞々しい。死出の道行を手を取り合って歩く二人の哀れさも一入感じさせ、古希を過ぎた二人の役者がこれほど艶やかな舞踊を見せてくれるところが、歌舞伎芸の素晴らしさ。松緑演じる万才の剽げた味もこの悲劇の中でいいアクセントになっており、延寿太夫以下清元の素晴らしさと相まって、見事な追善狂言になっていた。泉下の十三世もさぞ喜んでいる事だろう。

 

大幹部熟練の芸をたっぷり堪能出来た夜の部。この後昼の部も観劇予定なので、その感想はまた別項にて綴ります。

 

 

 

二月大歌舞伎(写真)

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歌舞伎座に行って来ました。ポスターです。

 

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昼の部の絵看板です。

 

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夜の部です。

 

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松嶋屋の丞相様。有難や~

 

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十三世の追善興行でした。もう27年ですか・・・気品のある役者でしたね。

 

松嶋屋三兄弟がそろい踏み。音羽屋も十八番『文七元結』で対抗しています。感想はまた別項にて。

 

大阪松竹座 壽初春大歌舞伎 幸四郎・愛之助・壱太郎の『九十九折』、鴈治郎・扇雀の「酒屋」

行こうか見送ろうか迷っていた大阪松竹座の新春公演。しかしその評判の良さに、矢も楯もたまらず駆けつけてしまった。時間と財政の関係上、夜の部を断念して昼の部のみ。その感想を綴る。

 

幕開きは大森痴雪 作『九十九折』。45年ぶりの上演だと云う。当然筆者は初めて観る狂言。痴雪 が初代鴈治郎に当て書きしたものらしい。せつなくいい芝居で、今までどうして上演されなかったのだろう。史実にある「安政の大獄」で、その標的となった水戸藩に木谷屋が金子を融通した。それを幕府に睨まれ、その咎を手代清七が一身に背負って店を逐電していた。その清七が帰って来るところから始まる。

 

白鸚と離れ単身大阪に乗り込んだ幸四郎の清七、愛之助の力蔵、壱太郎がお秀・雛勇の二役、橘三郎の作左衛門、猿弥の久七、松江の新造、彌十郎の仙右衛門と云う配役。それぞれがいちいちニンに合っていて、実にいい座組だった。

 

清七が5年ぶりにお店に帰って来ると、かつて恋仲だった主家の娘お秀は作左衛門の甥新造を婿に取って店を継がせる事が決まっている。その事態に驚く清七だが、情理を弁えた主人仙右衛門に諭されると、手切れの三百両を懐に黙って主家を後にする。その姿を見て心配した手代の久七が後を追い、酒を呑ませて慰める。千鳥足で歩いている清七の前に、お秀瓜二つの芸者雛勇が現れる。結局この雛勇の家に居候する事になる清七だが、雛勇の気持ちを疑っており、心は晴れない。やはり雛勇には間夫の力蔵があり、三百両が目当てだった。

 

金を投げつけ縋る雛勇を突き飛ばして出て行こうとする清七。三人が揉み合いになる中、力蔵が雛勇を斬ってしまい、その力蔵を清七が斬り殺してしまう。斬られた二人が仰向けに重なり刀を持って清七が決まったところは、凄惨な場面ながら歌舞伎的な美しさに溢れており、実に見事だった。

 

幸四郎の清七、愛之助の力蔵は共にニン。主家の為とは思いながら、お秀を思い切れず破滅して行く男を、等身大で見事に演じた幸四郎愛之助は所謂色悪の役どころで、去年南座での伊右衛門を想起させる所もあり、色気と悪の効いた力蔵。そして壱太郎が、家の為に心ならずも婿を取るも、清七を想い続けるお秀と、その清七を騙して金を取ろうとする悪女の雛勇を演じ分けている。お秀は芸風通りだと思うが、雛勇は今までの壱太郎にはなかった人物像だと思う。また一つ芸境が進んだのではないだろうか。上方の貴重な若手花形女形。この優の双肩に、上方歌舞伎の将来がかかっていると云っては過言だろうか。今後益々の精進を期待したい。

 

続いて『大津絵道成寺』。黙阿弥作の変化舞踊。筆者はこれも初めて観る狂言愛之助が藤娘・鷹匠・座頭・船頭・鬼の五役を踊り分ける。途中早替りなどのケレンもあり、実に華やか。特に座頭の滑稽味、そして幸四郎の五郎と対峙した鬼の力感は見事。正月らしい肩の凝らない舞踊で、悲劇的な二狂言に挟まれた清涼剤の様な味で、こちらも楽しめた。

 

そして打ち出しに『艶容女舞衣』から「酒屋」。山城屋の休演で、扇雀がお園と三勝を兼ねて大奮闘。鴈治郎が半七と宗岸の二役、寿治郎のおさよ、橘三郎の半兵衛と云う配役。これも実に結構な出来であった。

 

お園と云う女房がありながら、女芸人三勝に入れあげ娘までもうけている半七。しかしお園は、自分が至らないせいで半七は三勝のところから戻らないのだと半七を庇う。そのお園を思う父宗岸と、あんな極道な息子は勘当したと言い張る半七の父半兵衛。しかし半兵衛も着物の下は、間違いから人を殺めた半七の身替りとして代官所の命令で縄に縛られている。それを宗岸に指摘され、実は息子の命を一日でも助けたい一心だと打ち明ける。この芝居が実にいい。鴈治郎の宗岸は必ずしもニンではないが、情理を弁えた立派な父親像を創出。そしてその心に打たれて本心を吐露する一徹者の半兵衛を演じた橘三郎も、情味と義太夫味に溢れた素晴らしい半兵衛。寿治郎のおさよも併せて、腕達者が揃った見事な場となった。

 

続く有名なお園のくどきは、竹本に乗って扇雀が見事な芸を見せてくれる。動きとしては、山城屋よりもリアルでその分現代的だが、その所作一つ一つに夫半七を想う真情が溢れている。しかも竹本と見事にシンクロしてこれぞ上方狂言とも云うべき見事なくどき。ここで筆者は思わず目頭が熱くなった。この味は東京の役者には中々出せない。福助が元気なら・・・とは思うが、大和屋や七之助が演じるところは想像もつかない。先の壱太郎といい、上方女形ここにありを充分に見せて貰った感じだ。

 

鴈治郎のもう一役半七はニンでもあり実に見事。何度も手掛けていると思って流石だなと感心していたら、筋書きを読むと初役とあった。これは絶対当たり役になるだろう。山城屋休演で兼ねる事になった扇雀の三勝共々、素晴らしかった。最後我が子に一目会いたいと云う三勝を半七が窘め、死を決意した二人が手を取り合って花道に入る。正月に相応しい狂言かどうかはともかく、上方ならではの本当に見事な出来の義太夫狂言だった。

 

狂言とも見応えがあり、大阪遠征した甲斐があった。七月大歌舞伎にはまた来たいと思っている。今月は歌舞伎座昼夜を観劇予定。松嶋屋三兄弟に、大和屋、音羽屋と揃う大舞台が楽しみだ。

 

 

大阪松竹座 壽初春大歌舞伎(写真)

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大阪遠征で松竹座に行って来ました。

 

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明かりを上手く排除出来ず・・・ポスターです。

 

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舞台写真パネルもありました。

 

正月なので大奮発。これで1月歌舞伎がかかっている小屋、全て観劇出来ました。感想はまた別項にて綴ります。

令和2年初春歌舞伎公演『菊一座令和仇討』音羽屋の長兵衛、菊之助の権八、松緑の権三

お正月恒例の劇団による国立劇場公演。その感想を綴る。

 

大南北の『御国入曽我中村』を音羽屋が監修し、国立劇場文芸研究会が補綴したもの。南北お得意の「綯交ぜ」の世界。時代設定は鎌倉らしいのだが、時代の全く違う長兵衛や権八近松の鑓の権左を著作権無視して引っ張って来て、今回はカットされたらしいが、原作には三勝・半七も登場させていたらしく、正にやりたい放題。そんなてんこ盛りの世界を、劇団が令和初の正月公演に持ってきた。果たしてどうなりましたか。

 

音羽屋が長兵衛・閑心・範頼の三役を兼ね、菊之助権八松緑の権三、時蔵もおせん・風折・政子御前の三役で大奮闘。楽善、 團蔵、萬次郎、権十郎、橘太郎、彦三郎、亀蔵と劇団総出演の配役。「忠臣蔵」の大序「兜改めの場」を模した様な序幕「鎌倉金沢瀬戸明神の場」から始まり、鎌倉の執権大江広元家の跡目に必要な「陰陽の判」をめぐる物語に天下を狙う範頼の話しが加わる。どうやっても感動的な話しにはならないが、歌舞伎らしい大らかな狂言になった。

 

最近は毎年その傾向だが、音羽屋は主役と云っても一歩引いていて、菊之助松緑に大活躍させる。今回は権八と権三で、両花道を使った趣向。この両優は劇団なので共演は多いのだが、近年二人がしっかり絡む場があまりなかった印象。それぞれに見せ場を持たせて、登場する場は一緒にしない傾向にあったが、今回は松緑が本花道、菊之助が仮花道を使って華やかに登場。見事な立ち回りも披露する。やはり華のある両優。形も決まっていて、観ていて実に気持ちがいい。この二人が一旦は仇同士として斬り合うも、長兵衛に諭されて以降は、お家(大江家)の為に協力して「陰陽の判」を探索する事になる。

 

菊之助は、「陰陽の判」を手に入れる為女に身をやつして廓に売られる。形としては女形芸でそれはそれは美しいのだが、芝居としてはあくまで男と云う南北らしい倒錯した世界。同行した友人は「男が廓に?」と訝っていたが、それを云っては南北の世界は始まらない。ひたすら美しい菊之助女形芸が観れればそれで良いのだ。特に肚を求められる芝居ではないのだから。

 

松緑は立ち回りも多く、踊りで鍛えたその身のこなしは実に素晴らしい。菊之助との同性愛的な臭いも漂うのだが、お相手は権八妹梅枝のおさい。菊之助の相方は権三妹右近の八重梅。そう、この二人は義兄弟になった設定なのだ。この2カップルの恋模様の味は薄口で、その意味では物足りなかったが、原作ではどうなっているのだろう。筆者は原作にあたった事がないのではっきりとした事は云えないが、補綴の段階でかなり脚本に手を入れたのではないだろうか。字余りの所謂南北調の科白があまりなく、設定や趣向は南北らしいのだが、科白にはそのらしいさがあまり感じられなかった。

 

最後は範頼と権八・権三が戦場での再会を約し、音羽屋が舞台中央に決まって幕。「我ら一座はワンチーム」の科白で大団円となった。音羽屋は長兵衛の貫禄、範頼の国崩しの悪役ぶり、いずれも堂に入った芸で見事。例によって楽善、 團蔵の科白が怪しいのはご愛敬と云った所。正味二時間半、歌舞伎らしさ満載のいい狂言だった。

 

先月は大阪松竹にも行って昼の部を観劇。その感想はまた別項にて綴りたい。

令和2年初春歌舞伎公演『菊一座令和仇討』(写真)

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国立劇場に行って来ました。

 

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ポスターです。

 

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開演前の定式幕に、令和の元となった万葉集の序文が掲げてありました。

 

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役者絵羽子板です。

 

菊五郎劇団によるお正月恒例の国立劇場公演。南北作の『御国入曽我中村』を改訂したものだそうです。肩の凝らない芝居で、楽しめました。感想はまた別項にて。

 

壽 初春大歌舞伎 夜の部 白鸚の「五斗三番叟」、猿之助・團子の『連獅子』、中村屋兄弟の『鰯賣戀曳網』

続いて観劇した歌舞伎座夜の部の感想を綴りたい。

 

幕開きは『義経腰越状』。白鸚の五斗兵衛、芝翫義経猿之助の六郎、男女蔵の次郎、錦吾の太郎、歌六の泉三郎と云う配役。筆者は初めて観る狂言義経の話しにしてはあるが、実際は豊臣秀頼を諷しているらしい。五斗兵衛が後藤又兵衛、泉三郎が真田幸村と云う事の様だ。

 

話しとしてはとりたてての事はない。遊興に耽る義経を諫める為、泉三郎が優秀な軍師だと云って五斗兵衛を連れて来る。頼朝に通じている太郎・次郎は義経をこのまま堕落させたいので、五斗兵衛を会わせたくない。そこで兵衛が酒好きと聞き、酔っぱらせようとして酒を飲ませ、酔った兵衛が三番叟を踊ると云うもの。歌舞伎役者の踊りや酔態を見せる芝居だ。

 

筋書きで白鸚が「今年は初役を勉強しようと思います」と語っていた通り、これは初役。八十近くにもなって尚初役に挑むその心持が凄い。そしてこれがまた見事であった。最初は酒をすすめられても妻と約束したと云って断るのだが、太郎・次郎が目の前で上手そうに酒を呑む姿に堪えきれず、酒を注がれるままに呑む。そしてどんどん量が増え、酔っぱらっていくのだが、この酔っていく姿が実に見事なのだ。杯か進むにつれ、満員の客席に熟柿の香が漂い始める。こちらまで酔ってしまいそうな位だ。「魚屋宗五郎」でもそうだったが、この酔態が実に素晴らしい芸。

 

そして酔ったまま三番叟を踊る。この踊りがまた素晴らしい。高齢の白鸚だが、角々のきまりのきっちりした、楷書の舞踊。ところどころに酔いの姿を少し見せながら、舞踊としてしっかり見せる。この名人芸を観ながら思い出した事がある。昭和の大名人と称えられた落語家・六代目圓生師が「包丁」と云う噺を高座にかけた後、女性客が楽屋に来た時の話しだ。

 

「包丁」と云う噺は、酔って小唄を唄いながら、女を口説く場面がある。その女性客が、「実に見事な出来でしたが、あの小唄を唄う場面は酔っていませんでしたね」と云って帰ったと云う。傍らに弟子の先代圓楽がおり、圓生は「お前今の話しを聞いていたか」と聞いた。圓楽が「はい」と答えると、「あの人のおっしゃる事は正しい。しかしこれは芸の上の嘘なのだ。へべれけの小唄などは客に聴かせられる物じゃない。しかしそれを感じさせてしまうのは、まだ私の芸が拙いからだ」と云ったと云う。今回の白鸚の三番叟は、酔いを見せながら踊りとしてはきっちり見せる。正に六代目圓生が目指した芸の様ではないか。正に名人芸の「五斗三番叟」だった。

 

続いて『連獅子』。猿之助の親獅子、團子の仔獅子だ。去年高麗屋親子で観たばかりだが、今回は澤瀉屋バージョン。二畳台を三枚使って石橋に見立てた舞台設定になっており、振りの手数も多い。我が子を千尋の谷に突き落とすくだりも、高麗屋は舞台下手の方に転がすのだが、澤瀉屋は上手に転がすなど、違いも多い。家によって同じ狂言でも作法があり、その相違を観るのも歌舞伎観劇の大きな楽しみだ。

 

猿之助が親獅子を歌舞伎座で踊るのは意外にも初めてだと云う。團子の仔獅子は勿論初役。この澤瀉屋の叔父甥の『連獅子』もまた見事なものだった。何より二人共勢いがあり、華やかだ。イキの合い方は高麗屋親子に一日の長があった様に思うが、とにかく振りの手数が多い澤瀉屋バージョンは豪快だ。客席も大いに沸いていて、歌舞伎座の大舞台狭しと動き回る狂い舞いは圧巻だった。多分中車が踊る事は難しいと思われるので、今後もこの二人で澤瀉屋の『連獅子』をどんどん磨き上げて行って欲しいものだ。

 

打ち出しは『鰯賣戀曳網』。勘九郎の猿源氏、七之助の蛍火、男女蔵の六郎左衛門、種之助の次郎太、禿を筆者が観た日は勘太郎東蔵のなあみだぶつ、傾城に笑也と笑三郎と云う配役。これも実に結構な狂言だった。

 

『鰯賣戀曳網』は個人的に大好きな狂言で、肩の凝らない筋立てながら構成がしっかりしており、きっちり竹本も入っている。基本的に深刻な天才三島由紀夫が、「百万円煎餅」や「橋づくし」などで稀に見せる軽い剽げた味が反映されているいい作品だ。笑わない人がたまに見せる笑顔の様な感じか。

 

勘三郎の数多い芝居の中でも、この猿源氏が筆者は一番好きだった。それを息子の勘九郎が演じる。実に感慨深い。歌舞伎と云う枠を軽々と飛び越えてしまう勘三郎に対して、勘九郎は実に実直に演じているのがいい。必要以上に笑わせようとせず、父の呪縛から解き放たれたかの様だ。女形である七之助に比べ、同じ立役である勘九郎は、何につけ父を意識してしまう事が多いと思う。観客もまた勘九郎の姿に、亡き勘三郎を重ねてしまうところがあるだろう。これは偉大な父を持った役者の宿命みたいなものだ。

 

今回の勘九郎は、大げさに演じて笑いを取る様な事をしない。作が面白いので場内は笑いに包まれはするが、勘三郎の時の様な爆笑にはならない。これは役者の腕が悪いからではなく、勘九郎がこの狂言と向き合い、笑わせる事が目的ではないと感じ取ったからだ。だから父と違った独自の猿源氏を創出する事に成功出来たのだ。父に比べ(勘九郎不本意だろうが、どうしても比較してしまう)、蛍火への慕情が実に真摯で、ほのぼのとした味わいとなって客席に伝わる。そう、猿源氏は笑いに逃げているのではなく、真剣に行動している事が、傍からは可笑しく思えてしまうだけで、蛍火への想いは初恋の様に素朴で純粋なものなのだ。それがひしひしと感じられる。実にいい猿源氏だった。

 

七之助の蛍火もいい。「五条東洞院の場」で襖を開けて出たところ、その美しさに客席からジワが来た。貝合わせの場では、その口跡・仕草に玉三郎の匂いが濃厚に漂い、七之助らしさが感じられなかったが、猿源氏が宇都宮弾正と偽って入って来た後の二度目の出以降は、実に可愛らしい七之助なりの蛍火になっており、上々の出来。あくまで自分は宇都宮弾正だと言い張る猿源氏に、「では鰯売りではなかったか」と云って泣き伏す姿などは、美しく且つ哀れさが滲み、実に素晴らしい蛍火だった。

 

脇では、東蔵のなあみだぶつがニンでもあり、抜群の出来。初役だと云うが、名人東蔵には関係なかった様だ。親父に突き飛ばされる勘太郎も禿を可愛らしく神妙に勤めていて、感心させられる。男女蔵の六郎左衛門も軽くサラリと演じていて、今月三役を勤めた中で一番の出来だったと思う。

 

時代物狂言こそなかったが、お正月らしい目出度い狂言立てで、昼に負けず劣らず楽しめた夜の部だった。

 

来月は松嶋屋の神品菅丞相が出る。加えて音羽屋の「文七元結」もある。今から実に楽しみだ。今年もいい芝居が沢山観れそうだと思わせてくれる、素晴らしい歌舞伎座の正月興行だった。