fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

芸術祭十月大歌舞伎 昼の部 松緑の弁慶、音羽屋の佐七

十月歌舞伎座昼の部を観劇。その感想を綴る。

 

幕開きは『廓三番叟』。扇雀の傾城、梅枝の新造、巳之助の太鼓持と云う配役。華やかで、美しく、幕開きを飾るにはいい狂言。特に梅枝は先月も魁春と『お祭り』の芸者を踊ったが、両月共大先輩との踊り比べで見劣りしないのは、この優が確かな技術を身に着けてきた証拠。本当にいい女形になってきたと思う。扇雀の傾城は勿論素晴らしい。ただ最近この優の、歌舞伎座での芝居を観れる機会が少なくなっている印象。今月国立で座頭を勤めている芝翫共々、脂の乗り切った芝居をもっと歌舞伎座で観たいものだ。

 

続いては『御摂勧進帳』。何と歌舞伎座での上演は平成14年以来との事。確かに筆者は歌舞伎座で観た記憶がない。松緑の弁慶、愛之助の富樫、彦三郎の祐家、亀蔵義経、松也の鷲尾と云う配役。これが実に良かった。今月の松緑は夜の部でも和尚吉三で奮闘しているが、こちらも実にいい。祖父二代目松緑が復活させた狂言。父辰之助は遂に演じる事はなかったが、云わば家の芸とも云うべき狂言。当代松緑がしっかり継承してくれているのが、嬉しい。

 

「蘭平」もそうだが、この優の立ち回りは素晴らしい。踊りが身体にあるせいだろう。科白回しには癖があり、それが狂言によっては芝居の気分を損なう時もままある優だが、こう云う狂言は正に独壇場とも云うべき見事さ。おおらかだが、きっぱりとしており、力感も充分。何よりこの狂言の持つ何とも荒唐無稽な味を、現代人である松緑が見事に再現している点がいい。有名な『勧進帳』に比べ、言葉は悪いが漫画的な作りの芝居なのだが、それを馬鹿々々しいとも思わず、真から信じているかの様なのだ。表現が難しいのだが、辻褄とかを考えていては出来ない狂言。それを松緑は理屈ではなく、身体と気分で演じ切っている。

 

おいおいと泣いたかと思えば、義経一行が無事落ち延びたと判るや、急にスーパーマンになる。その展開をおかしいとも思わず、演じ切る。これは役者なら当たり前だと思うかもしれないが、こう云う狂言を現代人が演じる際には、現代の常識、演技としてのリアリズムが邪魔をするものだ。それが松緑にはない。この狂言を真から信じているかの様と云うのはこの点なのだ。例の「芋洗い」の場のおおらかな味を出せる松緑は、やはり得難い優。師走の「矢口渡」の頓兵衛は一転して義太夫狂言。これをどう演じてくれるか、今から楽しみだ。脇では松也の鷲尾三郎が目立つ出来。彦三郎の斎藤次祐家もあの朗々とした科白回しでの悪役も手堅い出来だった。

 

狂言目は『蜘蛛絲梓弦』。愛之助が蜘蛛の精を始めとする五役を早替りで勤める。他に松也の貞光、右近の金時、右團次の頼光と云う配役。こちらも「御摂」同様、筋立てを楽しむ狂言ではない。幕開きが「三番叟」だった事を含め、狂言としての筋を追っても楽しめる芝居が最後の「佐七」しかないと云うのも如何かとは思う。ただ愛之助の奮闘は素晴らしく、一番最初の小姓寛丸の前髪の若々しさと、最後の蜘蛛の精の対比はこの優の底力を示すもの。最後頼光と四天王を従えて蜘蛛の精の愛之助が舞台中央で決まった所は、一幅の絵。美しい幕切れだった。

 

打ち出しは『江戸育お祭佐七』。音羽屋の佐七、時蔵の小糸、團蔵の伴平、権十郎の芳松、橘三郎のおてつ、橘太郎の伴内、萬次郎の富次郎、楽善の太兵衛、左團次の勘右衛門と云う、劇団総出演の配役。これで悪かろうはずもない。加えて亀三郎と眞秀君が、お軽・勘平を踊った。勿論まだ芸とは云えないものだが、客席から「可愛い」と云う声も聞こえ、ここが一番盛り上がっていたかもしれない。

 

音羽屋の佐七はもうこう云う役をやらせれば、他に並ぶ者はいない。「お祭り佐七と云うなぁ、憚りながら俺の事だ」の名乗り科白のイキ。小糸を家に戻した後の「三百落とした心持ちたぁ、ここらの事を云うのかなぁ」の哀切。説明不要の素晴らしさだ。時蔵の小糸も艶っぽく、本当に佐七を愛していたのも関わらず、誤解で切られて死ぬ哀れさも一入で、実にいい小糸だった。

 

ただ狂言自体に同じ鳶の話しでも「め組」の様な魅力がなく、上演回数が少ないのも肯ける。音羽屋の素晴らしさ、劇団の見事なアンサンブルを味わう趣向の狂言だった。昼の部を通じて話しとしてこれはと云う芝居がなく、そのせいか入りも寂しい感じだった。松竹も、狂言立てに一工夫が必要だと思う。

 

来月は国立と歌舞伎座昼夜、新橋の「オグリ」を観劇予定。播磨屋音羽屋、幸四郎猿之助と揃う。大いに期待したい。

シアターコクーン 海老蔵の『オイディプス』(写真)

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シアターコクーンに行って来ました。ポスターです。

 

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舞台写真です。あまり装置のないシンプルなものでした。

 

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まだ行った事のないABKAI。機会があればとは思っているのですが・・・

 

満員の盛況でした。重厚なギリシャ悲劇を期待していたのですが、舞台を現代に移したものでした。いきなり海老蔵がスーツで登場してびっくり。しかし現代劇を演じても、海老蔵海老蔵でした。ラストはかなりの熱演ではありました。黒木瞳は美しかったです。還暦近くてあの美貌。若かりし頃はさぞかし・・・と思わされました。

 

国立劇場十月公演 『通し狂言 天竺徳兵衛韓噺』芝翫の徳兵衛

国立劇場の十月公演を観劇。その感想を綴る。

 

国立劇場では20年ぶりの通し狂言との事。芝翫が徳兵衛・徳市・左衛門を兼ねる。又五郎の掃部、東蔵の夕浪、彌十郎が宗観と政元を兼ねて、橋之助の桂之介 、高麗蔵が葛城、歌昇が時五郎と鹿蔵を兼ねると云う配役。歌舞伎座御園座、新橋と今月は全国で四公演がかかっており、方々に人を取られて多少地味な印象の役者陣。その分成功の如何は芝翫にかかっていると云う事になるが、これが中々面白い芝居になった。

 

序幕は筋を通すだけの場で、さしたる盛り上がりもない。しかし続く「吉岡宗観邸の場」で、アイヌの民族衣装「厚司」を纏った芝翫の徳兵衛が花道から出て来ると、さーっと舞台に灯りが射した様になる。その愛嬌、その大きさ、正に座頭の貫禄だ。舞台に廻って「異国話」の長科白も、素晴らしい。琉球を振り出しにハワイからクイーンエリザベス号に乗って天竺を回るスケールの大きさ(笑)。美ら海水族館ラグビーW杯の話しも飛び出し、途中で芝翫襲名の御礼迄申し述べるサービスぶり。満場大いに沸いていた。

 

この場の後半では、宝剣紛失の責任を取り彌十郎の宗観が切腹。今わの際に徳兵衛は自らの倅である事を告白し、「蝦蟇の妖術」を授ける。その妖術を使っての「屋台崩し」の大スペクタクルは見せ場だが、期待していた程の効果は感じられず、やや肩透かし気味だった。

 

続く「裏手水門の場」では捕手に囲まれた徳兵衛が、幕外で披露する「水中六法」が見せ場。立ち回りのみの短い場だが、この六法が豪快で力感に溢れ、実に素晴らしい。最近TVの「ノーサイドゲーム」で悪役を演じていた芝翫だが、ここは歌舞伎役者としての大きさを見せつける見事な六法だった。

 

大詰「梅津掃部館の場」では、芝翫二役目の按摩徳市が登場。上手く世話の雰囲気を出してはいるが、さしたる見せ場がある訳ではない。素晴らしいのはこの後。徳市が贋按摩である事を彌十郎の政元に見破られ、泉水に飛び込む。そして早替りで花道から登場するこれまた贋の上使である芝翫の斯波左衛門。これが三役の中でもニンに合い、一番の出来。

 

左衛門は贋ではあるが、上使としての立派な位取りを見せつつ、しかもその古風な役者顔は、まるで錦絵から抜け出たかの様。太ぶととして大きく、科白回しも呂の声が底響きするかの様な素晴らしさ。改めて芝翫の歌舞伎役者としての恵まれた資質を感じさせる。彌十郎の政元と二人揃ったところは、両優とも体格が立派で、役者ぶりが大きい。又五郎の掃部と政元が上使とは偽り、真は徳兵衛であろうと詰め寄るイキもいい。

 

最後は宝剣「浪切丸」は桂之介の元に戻り、後日の再会を約し舞台中央で徳兵衛が決まって幕。今年は一体どうしたのかと訝しく思う程歌舞伎座への出演がない芝翫が、そのうっぷんを晴らすかの様な気迫の大舞台。やはりこの優は今の花形世代にはない大きさを持っている。その底力を改めて感じさせてくれる素晴らしい狂言だった。

 

脇では彌十郎又五郎が流石の技量で、舞台をしっかり締めていた。橋之助の桂之介 もニンに合い、中々の前髪役者ぶり。これから徳兵衛が出来る役者にどう成長して行くか、楽しみだ。

 

芝翫は去年の同じ国立での俊寛も見事だったが、今年も素晴らしい舞台だった。やはりこの優は座頭役者。もっと歌舞伎座で観たいものだ。ただ今年は来月の『関三奴』で演じ納めの様だ。来年の楽しみとしておこう。

 

今月はこの後歌舞伎座昼の部を観劇予定。その感想はまた改めて綴る事にする。

 

 

国立劇場十月公演 『通し狂言 天竺徳兵衛韓噺』(写真)

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国立劇場、行って来ました。ポスターです。

 

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こんな展示も。

 

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出し物にちなんで、ケロロ軍曹のグッズです。

 

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もちろんこちらもチケットおさえました。

 

最近の国立劇場の公演としては、入りも良かったですね。感想はまた別項にて。

 

帝国劇場『ラ・マンチャの男』 白鸚のキホーテ(写真)

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ラ・マンチャの男』に行って来ました。ポスターです。

 

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舞台のミニチュアです。

 

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ブロードウェイで演じた際のポスター。主演SOMEGORO ICHIKAWA。

 

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日本初演時のポスターです。

 

補助席まで出る超満員でした。西洋演劇は専門外(?)なので、細かい論評は避けますが、最高の舞台でした。歌舞伎・ストレートプレイ・ミュージカルを、それぞれこのクオリティで演じられる役者が、古今東西あったでしょうか。練り上げられたアンサンブルで、芝居の内容も実に濃い。周囲からは気狂い扱いされるキホーテの無垢な魂を、あばずれ女のアルドンザだけが信じている。ドストエフスキーの「白痴」を想起させる素晴らしい芝居でした。一代の名優・松本白鸚。この奇跡の様な役者を同時代で観れる。今の仕合せが長く続く事を、願ってやみません。

芸術祭十月大歌舞伎 夜の部 松緑・愛之助・梅枝の『三人吉三巴白浪』、大和屋の『二人静』

芸術祭十月大歌舞伎夜の部を観劇。その感想を綴る。

 

幕開きは花形が揃った『三人吉三巴白浪』の通し。筆者は奇数日に観劇。梅枝のお嬢、松緑の和尚、愛之助のお坊、右近のおとせ、巳之助の十三郎、歌六の伝吉と云う配役。梅枝は初役、愛之助は十年ぶりとの事で如何かと思ったが、これが良かった。

 

現代の役者が黙阿弥を演じる時に何と云っても大きな壁は、例の黙阿弥調だ。その意味で、序幕「大川端庚申塚の場」の筆者にとっての最高の舞台は、歌舞伎座杮落し公演の、当時幸四郎の和尚、松嶋屋のお坊、音羽屋のお嬢だ。この名人三人の黙阿弥調はただただ聞き惚れるしかなかった。その意味では、今回のこの場は(まぁ比較しては気の毒ではあるが)喰い足りない。

 

梅枝のお嬢、愛之助のお坊共に、科白をしっかり云う事に意識が行き、黙阿弥調らしいテンポが犠牲になっている。その点この役を何度も勤めている松緑の和尚に、一日の長がある。ただ梅枝は初役、しかもまだ興行の幕が開いたばかりのタイミングだったので、致し方ない部分もあるだろう。この後こなれてくれば、また印象は変わるかもしれない。それでも去年観た七之助獅童、巳之助のバージョンよりは良かった。今後の精進に期待したいところだ。

 

序幕・二幕目で何と云っても素晴らしい黙阿弥調を聴かせてくれたのは、歌六の伝吉。二幕目「割下水伝吉内の場」での「親の因果が子に報い」に始まる長科白は、メリハリも抑揚もあり、絶妙なテンポでこれぞ黙阿弥調と唸らされた。練り上げられた見事な芸。流石芸歴六十年は伊達じゃない。

 

「大川端」では今一つ喰い足りなかった花形三人だが、その後は素晴らしかった。特に良かったのは松緑。三幕目「巣鴨吉祥院本堂の場」でのおとせと十三郎の述懐を聞き、義兄弟のお嬢、お坊の為にもこの二人を殺さなければならないと覚悟を決めるところ。二人の述懐を肚で受けている。この場での松緑の哀感こもごもとも云うべき表情は、この優が真実の心を持った役者である事を雄弁に物語る。続く「裏手墓地の場」の「悪い兄貴を持ったばかりに」の長科白も素晴らしい。

 

梅枝と愛之助が見せる同性愛的な感情表現も艶っぽく、次第に追い詰められて行く切迫感の中、芝居に哀切な表情を加えており、実に見事。大詰「本郷火の見櫓の場」の割り科白も素晴らしく、延寿太夫の清元に乗って、花形同士ならではの美しい場になっている。ここでは二人共黙阿弥調をしっかりこなせており、初役・十年ぶりとは思えぬ出来。最後は捕手に囲まれる中、三人決まって幕。歌舞伎座では十年ぶりと云う「三人吉三」の通し狂言。たっぷり堪能させて貰った。

 

打ち出しは『二人静』。能取物の新作舞踊。大和屋は近年、新作に意欲的だ。(師走公演では何と白雪姫!に挑むらしい)。新作には出来不出来もあるが、今回は成功作。何と云っても大和屋が素晴らしい。静御前の霊である大和屋が、児太郎の若菜摘に憑依し、二人舞になる。児太郎の背後で舞う大和屋姿が、本当に薄い影の様に見えるのだ。実際は一人の生身の人間であるはずなのだが、紗がかかったかの様な幽かなその舞姿!当代この幽玄な佇まいを表現出来るのは、大和屋以外にはいない。本当に凄い芸を見せて貰った。ただ彦三郎の神職は、元気が良すぎてこの狂言の雰囲気には合っていなかったが。大和屋はよく自分の舞台に彦三郎を起用しているので、多分お気に入りなのだろうけれど。

 

花形三人の力一杯の舞台と、大和屋の至芸を堪能出来た昼の部だった。松也バージョンも観たいのだが、多分時間がないかな・・・。