fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

八月納涼歌舞伎 第二部 幸四郎・猿之助の『東海道中膝栗毛』

八月納涼歌舞伎を観劇。まず第二部の感想から。

 

毎年恒例の幸四郎猿之助コンビによるYJKT。今年も満員の盛況で楽しく観劇した。幸四郎が弥次郎兵衛と獅子戸乱武の二役、猿之助も喜多八と黒船風珍の二役。この二人がそれぞれ武士に外貌がそっくりと云うところから巻き起こる珍道中。他は染五郎の梵太郎、團子の政之助のレギュラーに加え、中車の霧蔵、七之助のお七、今年は何に扮するかと楽しみだった門之助が奥の井と云う布陣。去年死んだはずの弥次喜多だったが、それは夢だったと云うオープニング。ありきたりだが、去年で終わりにならなかったのは大慶。

 

改めてお伊勢参りをしようと云う事になり、二人は江戸を立つ。この二人が悪者の戸乱武(トランプ)と風珍(プーチン)にそっくりだった事から、身替りに利用されて、宝剣と偽った刀をお伊勢さんに奉納する様に頼まれる。二大国の大統領をズバリ悪役にしてしまうあたり、流石は猿之助エスプリが効いている。二人は染五郎と團子を道連れに、律儀に奉納しようと旅を続ける。

 

内容は例年通りたわいもないもの。そこを役者の技量と、台本で魅せる喜劇に仕立て上げているのは流石。途中稲瀬川や鈴ケ森、陣門・組打などの古典の趣向を取り入れ、歌舞伎らしい喜劇になっている。

 

途中七之助大河ドラマを模していだてん走りで花道を駆け抜けたり、猿弥が娘義太夫に扮して中々の節回しを聴かせたりと、面白い趣向も満載。猿之助は六月に三谷歌舞伎に出ながらこの新作を書き上げ、科白も当然覚えねばならず、10月にはオグリもある。全て新作である事を考えれば、正に超人的な働きだと思う。本当に歌舞伎界にとって得難い優であると思う。

 

最後は無事お伊勢様に着いたはいいが、借金取りから逃れる為に花火の筒の中に隠れた弥次喜多が、花火と共に打ち上げられ、お約束の宙乗り幸四郎は空中三回転をきめるなどノリノリ。猿之助は傘を片手に持っての難しい宙乗りをさらりとこなす。満員の客席から降る様な「高麗屋!」「澤瀉屋!」の大向こうを浴びながら幕となった。筆者は基本的に義太夫狂言の様な肚を必要とする古典が好みではあるが、たまにはこう云う肩の凝らない軽い喜劇もいいものだ。大いに楽しめた一幕だった。

 

残る一部・三部は、また別項にて綴る事にする。

 

国立劇場 歌舞伎鑑賞会 松緑の『菅原伝授手習鑑 ― 車引 ― 』、『棒しばり』

国立劇場の歌舞伎鑑賞会を観劇。その感想を綴る。

 

まず最初に「歌舞伎のみかた」。新悟と玉太郎による解説。最初は新悟一人で花道から登場し、見得。その後玉太郎を呼び寄せての演目解説。そしてまた撮影タイムがあった。これはこれからの定番になるのだろう。

 

最初の狂言は「車引」。松緑の松王、亀蔵の梅王、新悟の桜丸、松江の時平と云う配役。これは中々厳しい出来だった。つい先日に高麗屋梅玉の同演目を観たと云う事もあるが、役者によって同じ狂言でもこうも違うものかと改めて思わされてしまった。

 

まず松緑の科白が、全く義太夫狂言のそれになっていない。度々ブログ内でも指摘しているが、この優は科白回しに独特の癖があり、それが気にならない時もあるのだが、義太夫狂言では耳障りになり、義太夫味を著しく阻害する。勿論花形世代屈指の舞踊の名手松緑、形はきっかりしており、荒事の力感もある。しかし科白になると一気に時代物から現代に引き戻されてしまうのだ。

 

亀蔵の梅王は無難にまとめた感はあるが、梅王の力強さはない。科白回しはよく声の通る優だけに、悪くはないが、力みが目立つ。新悟の桜丸に至っては、形もきっぱりしない上に声が女形声。桜丸は女形が演じる事も度々あるが、あくまで立役である。新悟は何か勘違いしているのではないか。四月に観た梅玉の素晴らしさが記憶に新しいだけに、残念だった。中では松江の時平公が、やや小粒ではあるが、古怪さを出していて、いい出来だった。近年の松江は充実していて、いつもおっと思わせる芝居を見せてくれているのが嬉しい。

 

打ち出し狂言は『棒しばり』。松緑の次郎冠者、亀蔵の太郎冠者、松江の松兵衛と云う配役。これは一転、素晴らしい出来だった。松緑が舞踊の腕を存分にふるっている。以前観た『素襖落』はどこか硬く、剽げた味が出ていなかったが、今回は違う。棒を使って見せるところでの「打って打って打ちなやいでやりまする」の軽さ、酒を呑むところの「いざ呑むぞ」「呑め呑め」のイキ、実に観ていて心地よい。

 

棒にしばられながらも酒を呑み、その縛られた状態で段々酩酊していく。形を崩さずに酔いを表現する超絶技巧。舞踊の名手松緑の本領発揮と云ったところ。客席にも酒の匂いが漂って来るかの様だった。この素晴らしい次郎冠者を受けての亀蔵の太郎冠者も、軽妙でいい。ともすると硬さが目立つ優だが、松緑に触発されたのか、洒脱な味を出している。

 

松江の松兵衛共々三人のイキもぴったりで、これぞ松羽目と云たくなる素晴らしい出来だった。客席も大いに沸いていて、歌舞伎初心者の人も充分楽しめたのではないだろうか。松緑で『釣女』や『身替座禅』なども観てみたいものだ。

 

今月は歌舞伎座が三部制。全部観劇予定なので、その感想は観劇後また別項にて綴ろうと思う。

国立劇場 歌舞伎鑑賞会(写真)

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国立劇場の歌舞伎鑑賞会に行って来ました。ポスターです。

 

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「車引」のパネル展示がありました。

 

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解説中の新悟です。1分間の撮影タイムがまたありました。

 

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これも楽しみです。

 

満員の盛況でした。感想はまた別項にて綴ります。

 

七月大歌舞伎夜の部 海老蔵十三役早替りの『星合世十三團』

七月大歌舞伎夜の部を観劇。ここまでやるかと云う海老蔵大奮闘。その感想を綴る。

 

丸本の名作『義経千本桜』を「大内」から「奥庭」迄通して演じる狂言。正味4時間以上にも及ぶ超大作。海老蔵は一人で左大臣朝方・卿の君・川越太郎・弁慶・知盛・丹蔵・小金吾・権太・弥左衛門・維盛・忠信・源九郎狐・教経を早替りで勤める。最初から最後迄出ずっぱり。そりゃ身体も壊すわ・・・。梅玉義経左團次の景時、雀右衛門静御前魁春典侍の局他の配役。思いが空回りしている部分もあったが、その熱意と努力は凄い。

 

筋を追うとそれだけで一杯になってしまうので、以下印象的なところを述べる。まず十三役の中で一番の出来だったのは、権太だ。これは今年松緑でも観ているが、断然海老蔵の方がいい。まずニンに合っているのが一番。冒頭の弥助・お里の件りはカット。いきなり海老蔵の権太が出て来る。弥助も海老蔵が兼ねているし、時間内に収める為にはこれは致し方なかろう。

 

齊入のお米を騙して金を引き出すところはふざけ過ぎて良くない。がっかりしていたのだが、その後がいい。本当は花道に行って弥左衛門が戻って来たのを見て舞台に戻るが、今回は弥左衛門(海老蔵ではない)が門口迄来たので、慌てて引っ込む。ここの海老蔵はその目つきといい、形といい、いかにもごろつきの性根を出していて、実に見事。

 

その後左團次の梶原が出て、弥左衛門達を取り囲んだとろこで、権太二度目の出。自分の妻子を身代わりに立てた内侍と六代の君を連れて、花道から出て来る。舞台に廻ってから左團次の梶原を向こうに回してのやり取り。ここも堂に入ったもので、「面上げろぃ」のイキ、褒美の金をせびる時のいかにも強欲な性根を見せるところなど、素晴らしい権太。

 

梶原が引っ込んだ後、弥左衛門に刺されるところは、何せ刺す方刺される方を海老蔵が兼ねているのだから、忙しい。障子屋体や屏風を使って、海老蔵が弥左衛門になったり権太になったり。実に目まぐるしい展開で、観ていて面白くはあるのだが、丸本の本分からはどうしても乖離してしまう。ここは感動的なところなので、もう少しじっくり観たかったが、次に海老蔵が権太を正式にやる時のお楽しみとしておこう。

 

そして権太モドリの述懐になる。ここの弥左衛門は顔を見せずに当然他の役者が代わっているので、父親としての芝居が十分に出来ず、その悲劇がしっかり出てこない憾みは残る。しかし海老蔵の述懐は、意外と云っては失礼だが聞かせてくれる。丸本的な義太夫味は薄いが、「ありゃぁわっちの女房に倅だぁ」のところなどは、実に真に迫まって見事なもの。これは練り上げていけば、当代の権太が出来上がるのではなかろうか。

 

この前段の「木の実」と「小金吾討死」もいい。ことに「木の実」の権太は、海老蔵の特徴たる目が生きて、小悪党な感じが上手く出ている。「小金吾討死」の縄を使った立ち回りはこの優の独壇場。素晴らしい迫力だった。

 

その他の場面では問題はかなりある。「福原平家御殿跡の場」などは知盛・維盛・教経を三役早替りで勤めているが、頑張り程の効果は上がっていないし、「堀川御所の場」の卿の君は流石に無理。「渡海屋」と「大物浦」は、先日松嶋屋の本物を観たばかりなので、どうしても食い足りない。最後の「川連法眼館」の狐忠信も、狐詞が出来ていないので、親子の情愛を出すところまでは行っていない。何せ十三役である。どうしても役の性根が薄くなるのは致し方ないだろう。

 

脇では梅玉魁春雀右衛門がそれぞれ見事な位取りを見せ、これぞ今日の大歌舞伎。この三人が出ている事によって、せわしない作りの狂言がぐっと締まる。観たばかりの「渡海屋」と「大物浦」だが、梅玉魁春の芝居は実に見ごたえがあったし、取り分け「四の切」での雀右衛門の静は、その気品、その情愛の深さ、当代一の静と云っていいだろう。この三人が揃った「千本桜」が観てみたいものだ。

 

とにかく海老蔵の大奮闘劇。来年襲名する十三代目團十郎にかけて十三役だったのだろうが、数を合わせた結果、色々無理は出ていた。しかし、今のうちしかこう云う無理は出来ないと思っているのだろう。その結果休演を余儀なくされた日もあった様だが、何とか千秋楽迄完走する事を祈るばかりだ。スペクタクル要素の強い中で、上記の様に権太は見事だった。今度は海老蔵でじっくり「鮨屋」を観てみたいと思っている。

 

来月は納涼歌舞伎。幸四郎の仁木が今からとても楽しみだ。

七月大歌舞伎昼の部 海老蔵・勸玄親子の『外郎売』

七月大歌舞伎昼の部を観劇。その感想を綴る。

 

海老蔵が15日から休演し、大騒ぎになった七月大歌舞伎今月の歌舞伎座。筆者はその直前に観る事が出来た。日頃の行いが出るものです(笑)。

 

幕開きは『高時』。右團次の高時、児太郎の衣笠、九團次の三郎、梅花の渚、寿猿の秋田入道、市蔵の大佛陸奥守と云う配役。新歌舞伎十八番とは云え、内容はない狂言。その分役者の力量が必要とされるが、今一つ冴えない。

 

右團次の高時は科白回しは流石と思わせる部分もあるが、執権としての大きさが出てこない。闘犬や酒色にうつつをぬかしているが、その原因は偉大な父祖に対する引け目にあり、その辺りの屈折した心情も充分に表出されているとは云い難い。大部屋連中の天狗の良さだけが目立つ結果になってしまった。「北条家門前の場」における九團次の三郎は好演。寿猿の秋田入道は流石の年功だった。

 

続いて『西郷と豚姫』。獅童のお玉、錦之助の西郷、権十郎の大久保、歌昇の半次郎と云う配役。これも何だか水っぽい。獅童のお玉に、報われないと知りつつ西郷を愛し、もう会う事は叶わないと思いながらその旅立ちを見送る哀しみが出てこない。池田大伍の原作はこの程度のものではないはずだ。錦之助の西郷も好演ではあるが、ニンではない。『高時』に続いて寂しい内容だった。

 

狂言目はこれまた新歌舞伎十八番『素襖落』。昨年松緑團蔵他で観たが、今回は本家成田屋海老蔵の太郎冠者、友右衛門の次郎冠者、獅童の大名、児太郎の姫御寮と云う配役。これは面白かった。昨年の松緑は、踊りの技量は素晴らしかったが、どこか固く、この狂言の持つ剽げた面白味が出ていなかった。しかし今回はその意味で軽く、さらっと剽軽さが出ている。

 

海老蔵の舞踊は腰高で、肩の線もしっかり決まっておらず、メカニック的には数段松緑が上である。しかし技術だけではないのが歌舞伎劇。この狂言の持つ何とも云えない可笑しさは、海老蔵の方がしっかり出せているのだ。同じ事は去年の團蔵と比べた時に、今回の獅童にも云える。前幕お玉の失点を挽回した印象。そして今回素晴らしかったのは、友右衛門の次郎冠者。巧まずして自然と表出されるその可笑し味、しかしながら気品は失わない。改めてこの優の持つ実力を再認識させられた。踊りの技量も確かで、この狂言成功の立役者と云えるだろう。

 

最後に皆さんお目当て歌舞伎十八番外郎売』。十八番が三っつも並ぶ。成田屋の芸に対する海老蔵の思いには並々ならぬ物がある様だ。海老蔵の五郎、勸玄君の貴甘坊、獅童の朝比奈、児太郎の舞鶴梅玉の祐経、魁春の虎、雀右衛門の少将と云う配役。毎月の様に上演される曽我物だ。

 

襲名でもないのに、梅玉魁春雀右衛門と幹部役者が揃い、劇中口上もある。流石市川宗家成田屋、格が違う。そしてお目当て勸玄君扮する貴甘坊の「外郎」の云いたてが、実に見事だった。筆者も寿限無くらいは何とか云えるが、テンポがどうしても速く前のめりになる。まぁ私は素人だから当たり前だが、勸玄君はその点実にしっかりしている。早口なのだが、決して急がず、そしてちゃんと抑揚もつけている。流石成田屋のDNAと舌を巻く思いだった。教え手がいいのだろうが、六歳にしてこの云い回しはお見事の一言。満場やんやの喝采だった。

 

梅玉の工藤は流石の貫禄。この優の風情は何とも云えずいいものだ。魁春雀右衛門がしっかり脇を固め、九團次の梶原が目立つ程のいい出来。大一座を従えてのお父さん海老蔵が見事な役者ぶりを見せる。華やかで、いい打ち出し狂言になった。

 

筆者が観劇した翌日に海老蔵休演が発表され、驚かされた。無事復帰した様なので一安心だが、若いとは云え海老蔵不惑を過ぎている。体調には十分留意して貰いたい。夜の部はまた別項にて綴る。