九月秀山祭を昼夜通しで観劇。筆者個人的に今月の眼目、福助5年ぶりの復帰舞台。秀山祭で福助が観れるとは、とひたすら感激。その所感を綴る。
幕開きの『金閣寺』。これが観たくて駆けつけた福助の復帰である。本来なら雪姫での復帰が観たかったが、贅沢は云えない。慶寿院尼の福助が出てきた時は、満場割れんばかりの拍手で、「成駒屋!」「待ってました!」の大向こうが降る様にかかる。筆者も思わず目頭が熱くなり、夢中で手を叩き続けた。腰元に梅花と歌女之丞と云う、成駒屋を支え続けたベテランを配し、万全のサポート。福助も心強かった事だろう。
右手が不自由と思われ、所作には左手しか遣わない。しかしその位取り、その気品は流石は福助。出てきただけで場をさらう。やはり福助には歌舞伎座の大舞台がよく似合う。科白まわしも無難にこなし、まずは一安心。体調と相談しながら、徐々にでもいいので、完全復活を期待したい。
狂言としては先月の『関の扉』に続いて児太郎が初役の雪姫で大健闘。歌右衛門直系の雪姫を行儀よく勤めている。雪姫は姫役と云っても人妻であり、その意味での色気や義太夫味には欠けるものの、初役としては充分だろう。今まで観た児太郎の中でも、一番美しかった。「爪先鼠」もまだまだだが、これには熟練が必要。それを差し引いても立派な雪姫だった。
義太夫味の不足は児太郎だけではなく、松緑の大膳も同様。全体としてさっぱりした『金閣寺』。ただ松緑としては手一杯に大膳の古怪な大きさを出してきており、初役としては悪くない。当代一の大膳役者白鸚に教えを受けたらしいが、今後練り上げて行って欲しい。白鸚の重厚な義太夫味溢れる大膳を、何とか次世代に受け継いで行って貰いたいと強く思う。
梅玉の久吉は正に本役。颯爽たる捌き役で、当代の久吉。幸四郎の直信も佇まいに色気が滲み、こちらも本役。亀蔵も天性の美声を張り上げて鬼藤太を好演。全体に薄い義太夫味を愛太夫の素晴らしい浄瑠璃が補って、見ごたえのある舞台となっていた。
筆者としては福助が観れただけで大満足。観客も皆同じ気持ちだったのでは。長くなったので、その他の演目はまた別項で。